チェンジ・ザ・ワールド☆

決着(美弦)No.3

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 試合の運びは、近的と遠的両方を行ない、その的中数の多い方の勝ちという、しごく簡単なものだった。

 まず、橘とともえが二人並んで近的に挑む。まだ霞の取れない中、ともえはしっかりと霞の向こうにある的を目に焼き付けた。

 橘の第一射は見事的中。


「当然ですわ」


 ともえの第一射。こちらも的中。

 次に氷江と真弓が近的に挑む。そしてどちらも的中。

 どちらも一歩も引かぬ接戦が続き、的中数も同数となっていた。

 本来団体戦は3人一組で行うのが通常だが、今回は笠原道場の決めた特別ルールが適用されている。このように同数で並んだ場合、次の遠的で決着をつけるようだ。

 ともは弓を構え、すうっと息を吸い込んだ。

 道場に立てなかった日から、美弦に教えられたイメージトレーニングを毎日続けてきた。風呂に入っている時も、寝る時も、どんな時でも流れるようなイメージを頭に描きつづけてきたのだ。

 矢をつがえ、弦を耳の後ろまでしっかりと引く。

 そして的と風を読み、一気に矢を放った。


 タンッ!


「的中!」


 続く橘も的中させ、氷江と真弓も同じように的中させた。


「これは耐久戦になりそうだな」


 一通り競技が終了したところで休憩が入り、汗を拭いながらぼそりと氷江が呟く。それにつられ、ともえは空を見上げた。霞はまだ晴れない。


「ともえ、大丈夫か?」


 心配そうに美弦が声を掛けてきた。


「うん。今日は調子がいい」

「そっか。 足は?」

「足も大丈夫」


 とは言ったものの、このままずっと決着がつかなかったら、さすがに足にも痛みが出て来る可能性はある。それを案じて美弦は視線を強くして遠く視線を馳せた。


「っ」


 視線の先には橘がいた。橘も美弦の視線に気付き、きっと睨みをきかせてくる。しかし美弦は橘に向って不敵に微笑んだ。


「美弦?」


 不審に思ったともえが問おうとした所で試合再開の声がかかり、美弦はすぐに射位に立つ氷江の隣りへと向かった。

 二人の試技が終り、橘とすれ違い際、美弦が何やら呟いた。

 と、途端に橘の顔は青くなり、何かを我慢するように全身を震わせてともえを睨んできた。


 えっ? 何っ!?


 驚くともえは、美弦に助けを求める。が、美弦は相変わらず何事もなかったように悪戯っぽく笑っているだけだ。


「ちゃんと集中しろ」


 そう美弦に言われ、ともえは集中を再開した。

 橘の様子がおかしい事は気になるが、他人の事を気にしている余裕などない。

 床の感触をゆっくりと確かめ、ともえはいつも通り弓を構えた。

 そして次の矢も的中させた。

 よし、いい感触!

 会心の出来に心の中で喜ぶと、場内がざわめいた。


「そんな、まさか……」

「何かの間違いだ! さっき日輪の者が雛菊さんに何か言ったからだ!」

「貴様一体何をしたんだっ!?」


 振り返ると、笠原道場の門下生達が今にも美弦に掴み掛かりそうになっていた。


「どっ、どうしたんですかっ!?」


 慌ててともえが美弦に駆け寄ろうとしたその時だった。


「お前達いい加減にしないかあっ!!」


 笠原限流の一喝に、一瞬で道場内は静まり返る。幸之助も立ち上がり、美弦と橘へ歩み寄った。


「先ほど美弦が橘君に言った言葉、ここで皆に話せるな?」

「はい」


 幸之助に促され、美弦はおくびもせず昂然と答えた。


「橘さんがあまりにもこちらを心配そうにご覧になられていたので、ともえの足はもう大丈夫ですよ、とお伝えしただけです」

「―――え? そんな、こと?」


 ともえはきょとんと目を開けて美弦と橘を見る。橘はまだ顔を青くしている。


「雛菊、本当か?」


 限流に尋ねられ、橘は震えながら小さく頷いた。


「何故? そんな事の何が君を動揺させたっていうんだ! 橘君!?」


 驚いているのは全員同じだが、納得出来ない氷江が橘に食って掛かる。


「……私が命を下したわけではありませんのよっ。だってそんな……そんな卑劣な事はわたくしの誇りを傷つける事でしかないのですからっ……なのに……なのにっ。こんな事……信じたくなかった。何かの間違いだって……でも……っ」


 独り言のように言葉を繰りながら涙目になる橘に、しかし美弦は容赦しなかった。


「ふぅん。だからそんな視線を向けて下さっているのだとばかり思ってしまいましたよ、橘さん」

「っ!」


 橘はわなわなと震えながら涙をこらえ、唇を噛みしめている。


「一体どういう事だ?」


 限流が不審そうに眉根を寄せたその時、ダンッという荒々しい音が道場を支配した。反射的に振り返ると、ともえ達の背後で二人の若い男が額を床にこすりつけていた。


「「すみませんでしたあっ!!」」


 二人の若い男は身を震わせんばかりに声を張り上げている。その様子にともえは思わずハッとした。


「あなた達、もしかして……?」

「本当にすみませんでした! あんなに強く殴るつもりはなかったんです!」

「やっぱり……」


 弓具店からの帰りにともえを襲った二人だ。だが急に謝られても、ともえはどう対処していいのか分からない。困っていると、美弦がともえの一歩前へと足を踏み出した。


「限流師範はその様子ですとまだご存じなかったようなので、僕から説明致します。二週間ほど前、ともえは何者かに襲われ足を負傷しました。その時の暴漢が彼らです」

「お前達!」

「お待ちください、師範。話はまだ続きます」

「う……うむ」


 立ちあがろうとした師範を美弦はそう制すと、再び橘へと視線を真っ直ぐ向けた。


「彼等はいわば橘さんの信奉者といったところでしょう。僕だってこの笠原道場には幼い頃から何度か来ていますからね。ここの道場の人間で誰がそんな事をしそうなものか、予想もつくというものです。だから僕は橘さんに言ってあげたんですよ、随分とこちらを気にされていらっしゃるようでしたから。安心して下さい、ともえの足はもう大丈夫ですよって」


 そこまで言うと一度言葉を切って、美弦は不敵ににっと笑った。


「だけど橘さんはそんな事命じて無かった。誇り高い橘さんの事、正々堂々と戦って勝つのが当たり前と思われている事でしょう。だから、動揺した。僕の一言に橘さん、あなたは見透かされてると思ったんだ」

「「橘さん、すみませんっ!!」」


 二人の男はそう言うとより一層頭を擦りつけたが、橘は二人に見向きもしなかった。


「彼らは‘僕のともえ’を傷付けたんです。師範からもこれからきつく灸を据えられる事と思いますが、僕からも一言いいですか?」


 美弦が凛とした声でそう言うと、限流は拳を握り締めたまま黙って頷いた。

 美弦はともえの前で萎縮する二人に顔を寄せ、背筋も凍る程の冷たい視線を二人に向けると、


「いい? 君達のした事は結果として橘さんを傷つけたんだ。因果応報、よく覚えておくんだね。それから――もしもまたともえに何かしたらその時は、僕は何をするか分からないよ。二度と弓を引けなくなるかも? なーんて」


 そう言ってくすくすと笑った。


「ひいっ! すみません、もう二度としませんっ!」

「本当に許してくださいい!!」


 よほど恐ろしかったのか、二人は美弦から視線を外し小さくふるえつづけた。

 重い空気の中、口火を切ったのは笠原限流だった。


「幸之助……試合はお前達の勝ちだ。そして本当にすまない事をした。彼らにしかるべき処分を与える」

「ああ……しかしなあ、限流。確かに我らは流派が違う。だが、だからといっていがみ合う必要はないと思うのだ。時代は変わった。武芸で録をもらう時代は終わったんだ……我々が弓道界の為に出来る事を模索して行かなくてはいけないのではないだろうか?」


 ともえは息を飲んで限流の答えを待った。


「どうして私はお前の言葉を素直に聞けなかったのだろうな……雛菊にも辛い思いをさせてしまった。誇りを持つ事は大切な事だ。だがいき過ぎた誇りは自身をもきずつける。何故このような事になるまで、気付かなかったのだろうか」


 まるで物語を話すように語る限流に、誰もが意識を傾けていた。


「幸之助、これからは新しい時代と共に、我ら弓道家も歩もう」

「限流……」


 二人はしっかりと手を握り合い、固い握手を交わした。

 幸之助は安堵したように微笑むと、美弦とともえに向き直った。


「さて、試合に勝った報告に、我が道場に帰るとするか」


 幸之助の一言で、ともえはやっと現実に戻る事が出来た。

 そうだ、勝ったのだ……


「はいっ!」







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