チェンジ・ザ・ワールド☆

始まりは突然に・No.4

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始まりは突然に











 どれくらい走っただろうか。しばらく車に揺られると、ふいに静かに車は停まった。窓から外の様子を伺うとそこには真っ白なビルが見えた。この瀟洒なビルには見覚えがある。テレビや雑誌で見たままのその佇まいに、私は反射的にごくりとつばを飲んだ。


 『美成堂』


 日本人女性なら知らない人は殆どいないのではないかと思われる、老舗中の老舗化粧品会社。都会の一等地に自社ビルを構え、年商は数百億をゆうに越える世界を股にかけるその会社は、今、私の隣にいる御影山社長で5代目だという。


「行くぞ」


 社長に促されるまま車を降り、外装と同様に白で整えられた綺麗なエントランスに入ると、これまた美人な受付嬢2人が笑顔と共に挨拶をされた。


「おはようございます。社長」

「おはよう」

「あ、お、おはようございますっ」


 慌てて私も挨拶をする。社長の後ろに付いている、得体の知れない私に向っても受付嬢の2人がにっこりと微笑みを返してくれて、なんだか少し安心したのも束の間、白を基調としたまるでドラマの撮影にでも使われそうな雰囲気のエントランスに、思わずキョロキョロと辺りを見回していると、社長がどんどん奥へと歩みを進めていくのが見えた。

 いけない! このままじゃはぐれちゃう! 初日から会社で迷子なんて笑い話にもならないと慌てて後を追いかけて、私も何とかロビーに辿り着く。

 ロビーも思わず息を飲む美しさだった。エントランスよりさらに広くて綺麗だし、同じブランドで整えられた調度品の全てが実に品が良い。


「おはようございます」

「おはよう」


 ロビーのあちこちから色んな人達が社長に挨拶をしてくる。そして案外律儀にあいさつを返す社長の横顔を眺めながら、私はちょっとだけ感心した。

 なんか偉そうな所しか見てないから、挨拶なんて無視するのかと思ってたけど、結構マメなのね……。

 そんな事を思いながら社長の後を付いていると、ロビー奥、5機並んだエレベーターの前で、社長がくるりと私の方を振り返った。


「さて――今、人材を欲している部署は3つだ。お前にはその中から一つを選ばせてやろう」

「えぇ!?」

「なんだ? 不服か? 後から無様な言い訳など聞きたくないからな。自分の道は自分で決めさせてやろうと言っているんだ。社長からの有難い恩恵だぞ。少しは光栄に思ったらどうだ」


 いきなりの提案とその内容から、急速に圧し掛かってきたプレッシャーで言葉も出なくなり、ただ口だけがパクパクと水揚げされた魚のように空気を求める。

 ど、どうしてこんな事になるのよ! ――いや、私が大見得切ったからなんだけど。だけど! いきなり3つの部署から選べだなんてっ!!

 動揺する私を見下ろし、小さくため息を吐いてから社長は丁度開いたエレベーターに私を誘った。


「馬鹿みたいな口をやめろ。さっさと行くぞ。ついてこい」


 また馬鹿にされた! と思いつつ、慌てて口を引き締めて社長と2人でエレベーターに乗り込む。

 く、空気が重い……。会話もなく沈黙が支配する2人っきりのエレベーターに息が詰まる。早く目的の階についてほしい。

 1秒が10秒にも感じられる時間を耐えると、エレベーターは心地よく止まった。廊下へ出ると、社長はくるりと辺りを見回す。


「まずはそうだな――こっちだ」


 そう言った社長の後についていくと、そこには営業部の文字が。








〜〜〜








 「え、営業部……ですか」

「そうだ。入るぞ」


 扉を開けると、営業部員達が社長に対し一斉に挨拶する。彼らを個別に認識する前に、一番手前にいた巻き毛の男性が、人懐っこい笑みを浮かべながら社長の元へと近付いてきた。


「社長、見て下さい。僕、昨日また新しい契約取れちゃいました~」

「む、大手じゃないか。さすがだな、春日」

「ふふっ。とーぜんですよ! やっぱ僕って優秀みたいで~」


 私の事は全く無視して、いきなり始まったこの会話……。な、なんなの? 社長に対してこの口調。いやそれ以前に、彼がひらひらと見せつけるかのように掲げている契約書に書かれている文字は、あの有名デパート!?

 驚きを隠せない私を視線の端に捉えた春日と呼ばれた男性は、あからさまに不審そうに眉間に皺を寄せた。その視線に気付き社長が私を紹介する。


「ああ、紹介しよう。葉月水那だ。年はお前の一つ下だな。葉月、こいつは営業部期待の超新星 春日 雅(かすが みやび)だ」

「よ、よろしくお願いします!」

「よろしく」


 さもどうでも良さそうに春日さんは私の挨拶に軽く会釈しただけだった。


「で、その葉月さんが何か御用でも?」

「まだ決定ではないが、こっちで厄介になるかもしれん」

「それって――この営業部に?」

「ああ、そうだ」

「ふぅん……。ま、営業なんていくらいても困るものでもありませんから、それが社長の決定なら異論はありませんけど」

「その場合はお前の下に付く事になる」

「えぇ!?」


 と驚きの声を上げたのは勿論私。そんな私を社長は呆れた顔で見返してくる。いやいや私からしたら、寧ろ今まで黙ってちゃんと聞いていた事を褒めてほしいくらいだわ。いきなり営業部だって言われて、営業部の期待の星の冷たい視線にも堪えていたんだから! そんな私の心情など露ほども知らない社長は、今日何度目かの呆れ顔を浮かべている。


「一々驚くな。うっとうしい」

「で、でもっ」


 こんな年齢的にも変わらない子の元で~!? しかも無駄に偉そうだし、なんかさっきからずっと私の事睨んでるんですけど!


「……僕は別にかまいませんけど」

「そうか」

「ええ。社長の決定にはどんな事にも従い、そして結果を出す――それが美成堂の社員というものですから」


 そう言って姿勢を正した春日さんを改めて観察してみる。この人が私の上司になるかもしれないんだ……。私より一つ年上って言ってたけど、体つきも華奢だし可愛らしい顔立ちをしているから容姿だけなら年齢よりも若く見える。でも立ち居振る舞いが私なんかよりずっと大人で、とても1歳差とは思えない。くるんと巻いた巻き毛は宗教画の天使みたいでよく似合っている――のだけど、その視線には何か意地悪なものを感じる。さも何かを企んでいそうに不敵に、しかしあくまでも愛らしく、春日さんは私に向って微笑みかけた。

 そんな春日さんに「社長の決定にはどんな事にも従い」なんていう絶対服従な言葉を吐かれた社長は満足そうに微笑んでいる。引くわ。正直、引くわ。ていうか春日さんも社長と同じ位底意地が悪いに違いない……。私の直感が危険を告げている。そんな考察をしていると、社長がくるりと半身を返して扉の方へと体を傾けた。


「まぁそう言う事だ。俺はこいつを他にも連れていく所がある。最終的な決定はまた通達する。では」

「はい! お疲れ様です!」


 私には何も言わずにさっさと営業部を後にした社長の後を追いかけようとした私に、営業部員達の鋭い視線が突き刺さる。そりゃそうよね……。なんでこんな時期に新入社員が? しかも社長直々に、って普通思うよね。簡単に一礼だけを済ませて廊下に出ると、気絶寸前なまでに緊張していた私は思わずひとつ息をついた。


「次は――写真部だな」

「写真部――ですか」


 そんな私の様子を気にとめるでもなく、社長は次の場所へと私を案内するべく長い足で優雅に廊下を先へと進む。


「宣材用の写真なんかを撮影・管理する場だ。今からそこの市来 凱(いちき がい)という男に会って貰う」

「市来さん……」

「名前くらいは見たことがあるんじゃないか? 今、街中に貼られている美成堂ファンデーションのポスターあるだろう。あれを撮ったのも市来だ」

「そういえば……! 雑誌とかでも撮影‘市来凱’って書いてあるのを見たことあります!」

「市来の腕は確かだからな。まだ28歳と若いが、その感性も技術も本物だ」


 再びエレベーターに乗り込むと、私はふと疑問を口にした。


「あの、普通宣材用の写真とかって外部委託じゃないんですか? 会社でカメラマンを、しかも市来さんのように有名な方を雇うなんて」

「そうだな、普通は外部に発注する。美成堂では市来を専属で使っているが、奴は奴でフリーでの仕事も受け持っている。社員という訳ではない」

「なるほど」


 社長からの説明になんとなく納得していると、エレベーターが目的の階に到着した。フロアに出るとそこは今まで見てきた社内とは雰囲気がガラリと変わっていた。

 廊下は黒っぽい色を基調としていて装飾品などが揃えてあり、照明も間接照明にされていて、どこか美術館のような落ち着いた様相になっている。

 その廊下を少し進んだドアの前までくると、社長は静かにノックした。


「市来、入るぞ」

「うぃ~」


 中から酔っぱらいのような返事が聞こえてくると、社長は無遠慮に扉をガチャリと開いた。出迎えてくれていた男性は、あくびをしながらぼりぼりと頭をかいている。この人が、市来さん? 不精髭を生やしたままのその姿は、美成堂ファンデーションのイメージとはかけ離れていて、思わずちょっとだけ身を引いてしまった。


「なんだ、寝ていたのか。だらしない」

「社長、こっちは朝まで仕事だったんですよ。モデルの子達もさっき帰ったようなもんで……。というか、そっちの子は?」


 社長の後ろに控えていた私を目にとめると、社長に向ってすかさずそう尋ねる。


「ああ、こいつは葉月水那。うちの新入社員候補だ」

「ほー。社長がわざわざ連れまわして? へぇ……どっかのお嬢さんかなんかですか?」

「お前の眼は節穴か。こいつのどこがそんなタマに見える」

「ははっ。やっぱ違ったか」


 やっぱってどういう事よ! 失礼ね! 確かにお嬢さんじゃないけど! ……ないけど初対面の人間の目の前で何なのよ、この会話は!

 なんて憤っている私は無視して、男性2人はどんどん話を進めていく。


「お前カメアシ欲しがってたろう。どうだ? こいつならすぐにでも付けてやるぞ」

「へぇ……。君、カメラ好きなの?」


 少しだけ逡巡するような態度を見せた後、ふいにこちらを向いて訪ねてきた市来さんに、私は戸惑いながらも正直に答えた。


「え……っと見るのは。撮るのは……全然詳しくないです」

「はあ、つまりズブの素人ってわけだ」

「……はい」


 市来さんから与えられた評価に思わず小さく頷く。だけどしょうがない、ここで嘘は吐けないもの。紛れもないズブの素人なんだから。なのに写真部に連れて来る社長が悪いのよ! なんてこっそりと責任転嫁をしてみたものの、肩身が狭くて思わず視線をそらした私を社長が親指で市来さんに指した。


「どうだ?」

「いりません」


 社長の問いにあっさり答える市来さん。


「そうか?」

「素人下に付けられたら、俺の仕事が増えるだけでしょう。冗談じゃない。もうちょっとマトモな子連れて来て下さいよ」

「そうか? こいつ、なんでも言う事聞くらしいぞ」

「またまた」

「いえっ! 私、なんでもしますっ! 絶対に結果は出して見せます!」


 確かにズブの素人だけど、“もうちょっとマトモな子”とか言われたらなんか、なんかこう私の負けず嫌い精神に火が着いて、思わずそう答えていた。そうよ、女に二言はない! 何の仕事だって結果は出すって決めたんだもの! ――さっきの営業の人はちょっとアレだけど、営業でだってどこだって絶対結果を出してみせるんだから!

 そんな決意を胸に秘め、私はグッと背筋を伸ばし市来さんの顔を正面から見据えた。私の視線を真っ向から受け止めると、市来さんは気だるげに口を開いた。


「……君、なんかアレだね。借金のカタに売られた長屋の娘って感じだね」

「ぷっ」


 市来さんの言葉に社長は思わず噴き出した。あ、社長ってこんな風に笑ったりするんだ~……ってそんな事に感心してる場合じゃない! こっちは一流企業に就職というご馳走か一生ここで清掃員さんかという瀬戸際なのだ。借金のカタじゃないけど、そりゃ必死にもなる。それにしても長屋って……そんな言葉ひっさしぶりに聞いたわよ~!


「まぁいい。考えておいてくれ。葉月、次行くぞ」


 怒りやら戸惑いやら決意やらで、くるくると表情の変わる私を、まるで玩具を見るような目で見下ろしながら、ヒラヒラと手を振る市来さんに頭を下げると、社長と共に写真部を後にした。

 部署の候補は3つって言ってたわよね。残りは1つ……。どうか次の部署の人はいい人でありますように!

 そんな風に願っている間も、社長は同じフロアの奥の方へと歩みを進めている。


「最後は制作部だな。お前にはそこの音楽担当者と会って貰う」

「音楽担当?」

「CMやなんかで流れている曲があるだろう。ああいうものの選曲や場合によっては作曲もしている明月院 聖(めいげついん ひじり)という男がいる」

「明月院さん」

「年もお前とそう遠くはない。確か今年で25だったはずだ。と、ここだ」


 フロアの一番奥に辿り着いた来た社長は、目の前のドアをノックした後じっと待っていた。

 今までの部屋はノックするとすぐにドアを開けていたのに、何故だろうと不思議に思いながらも、私も社長の後ろでじっと佇む。


「……どうぞ」


 しばらくして、神経質そうな声で返事が返って来た。


「入るぞ」


 ドアの向こう、見た事も無い機械をバックに佇む男性に―――目を、奪われた。

 なんて綺麗な男の人なの……。


「どうかされましたか?」

「お前のアシスタント候補を連れてきた。葉月 水那だ。葉月、この男が明月院だ」


 目の前にいる端麗な男性にまだ見とれている私を、明月院さんはじろりとねめつけた。


「彼女が――俺の役に立つ?」

「ように見えるか」

「全く」

「だろうな」


 なんなのよ、このやりとりは! さっきから私の事を馬鹿にしてるだけじゃない! この人もこういうタイプなの!? この会社には人並みの優しさをもった人はいないの!? いい加減にしてっ! なんて心で叫びつつ、就職の二文字を脳裏によぎらせグッと我慢。にっこり笑って頭を下げて――


「葉月水那といいます! 精一杯やらせて頂きます!」

「……うるさい。今ちょうどいいフレーズが浮かんで来たんだ。話は分かりましたので、失礼します」


 そう言うと明月院さんは一方的に扉を閉めた。

 頭を下げた姿勢のまま、顔に張り付けた笑顔がひきつる。もういい、もう分かった。どこに行こうと人間関係には苦労しそうだ。だったら覚悟を決めるしかない。

 そんな風に割り切って、何事もなかったかのように頭を上げると社長が私を面白そうに見ていた。


「今日一番のインパクトだったか? だがあいつはいつもこういう風でな。そうそう、一つお前に忠告しておくが、この部屋に入る時は必ず中から返事があるまで待て。あいつの作業中に開けてみろ? どうなるかは保証せんぞ」


 この社長がここまで言うのだから、返事を待たずに開けたりしたら、どんな目に合わされるか分かったものじゃない。見た目も声も神経質そうだったけど、本当に神経質なのね。気を付けなくっちゃ。まだ命は惜しいし……。

 こくり、と神妙に頷いた私を社長は満足そうに見返した。

「まあ、この3つの部署からどれか選んでもらうんだが、今すぐというのは無理だろう。明日まで猶予をやる。朝一番に俺の所へ来い。そうだな……あとは会社を案内してやろう。普段忙しい俺様が案内してやるんだ、ありがたく思え」

「―――はあ、ありがとうございます」


 なんといってもあの美成堂の社長なのだ、本来なら私のような人間の相手などしている暇は本当にないと思われる。それでもこうして気にしてくれているのだから、思ったより優しいのかもしれない。

 仕事も絶対に結果を出すと言い切ったのだ。やるだけの事をやろう。私は改めて決意した。









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