総司令 第六話

気が付くと、僕は見知らぬ天井を見上げていた。

ここは、どこだろう。
身を起こすと、僕は白衣を着せられていることに気が付いた。
ここはベッドの上。飾り一つ無い、白いシーツの病院のベッドの上だった。
見渡せば、ここは閑散とした白い部屋。
入院患者向けの病室に、僕は居た。

ベッドから降りようとしたけど、なんだか体がフラフラする。
そう、風邪薬を飲んだときと同じ感じだ。
腕を見ればガーゼが当てられている。
何か注射でも受けたのだろうか。

僕はそのまま病室を出ると、今はもう真夜中だった。
廊下の窓から夜空を見上げれば、ぼんやりとした満月が浮かんでいた。
僕はふらつく体に身を任せて、月明かりの中をあてどなく歩いていた。

窓の外を見渡せば半壊状態の街が見える。
呆然とその有様を見ながら僕は座った。
気が付くと、僕は待合い場所のようなロビーに座っていた。
何があったのだろう。
ああ、隕石でも墜ちたのかな。

違う。
いや、違う。
あそこで戦いが、あったんだ。
そう、巨大な怪物と、巨大なロボットが、あそこで戦っていた。
そうだ。僕はその戦いのために、ここに来たんだ。
僕はここ、第三新東京市、この街まで呼び出され、巨大ロボットに引き合わされて。
そして、そのパイロットは?

パイロットは――。

カチリ。

ライターでタバコに火を付ける音。
何時の間にやってきたのだろう。
白衣を着た女性が、僕の隣に座っていた。

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「レイはね。あなたに最初に見せた通り、人の手によって生み出されたクローン人間」

「レイは、リツコさん……まさかあなたは」

「セカンドインパクトの真の原因、それは大質量隕石の衝突などというものではない。
 それは使徒と呼ばれる怪物によって巻き起こされたものであり、その再来が我々に迫っていた」

「そのために、レイは……」

「使徒を倒すことは容易ではない。
 容易ではないからこそ、セカンドインパクトという大惨事に見舞われた。
 どのような方法をもってしても、使徒の体に傷一つ付けることが出来なかった。
 それは使徒が放つ謎の力。ATフィールド」

「ねえ、リツコさん。レイを何故……」

「研究の末、行き着いた結論。
 ATフィールドを破れるのは、同じATフィールドのみ。
 使徒を倒すことが出来るのは、同じ使徒のみ。
 そして我々に残された物。それはセカンドインパクト発生の折に残された使徒アダムの遺骸」

「レイをそのために……リツコさん、何故、あなたはレイを殺したんですか」

「使徒アダムの襲来に続いて、幾つかの使徒の存在が判明している。
 既に息を吹き返し、その拍動が復活の日を告げていた。
 それが今日、いや昨日ね。
 その日に至るまでにエヴァの開発を、我々はアダムという猛獣を飼い慣らさなければならなかった」

「だからいって、人を何だと……人の命を……」

「シンジ君」

そして、リツコさんはスッと立ち上がった。

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「厳しい自然界の中で生き抜く最良の手段、それは猛獣の牙でも巨大な体でもない。
 個にして集、集にしてそれを個となす、それが人間という生物の特質。
 様々な犠牲を投じることで、集の存在を維持してきた。
 如何に科学の進歩、倫理の発展があろうとも、今だ厳しい現実は変わらない。
 マスコミがもたらす情報規制と巨大都市の広大な外壁が、そのことを忘れさせてしまった。
 知性の向上は個の存在を高め、集の力を弱体させる結果となった」

「……」

「シンジ君、それが現実なの。
 そしてNERVとは、人類のために犠牲を投じるための機関。
 お金も、資源も、人力も、そして人の命をも犠牲に投じるための仕組み。
 それがNERVの真の姿」

「……でも、それは」

「NERVの職員は皆、自らの命を投じることに合意している。
 サードインパクトが起きて、真っ先に死ぬのは自分達であることを納得した上で、皆ここで戦っている」

「でも、レイは……」

「私は違う。私の役目、それは犠牲を投じる者。
 ミサトも、私も、そしてあなたのお父さんも犠牲者をいざなうことが役目。だからこそ」

「……?」

「私はレイを愛さない。愛せないの。
 でなければ、心破れてNERVを去っていたことだろう。
 私は繰り返し、レイの生と死を目の当たりにしなければならなかった。
 あの子を人ではなくモノとして見なければ、クローンなどというものを扱うことなど出来やしない。
 しかし、レイは愛する者が居なければ生きていけない。
 もはや、レイの開発のために愛情を捨てた私に、その役目は無理」

「……それが、僕だと?」

「シンジ君」

「え?」

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「シンジ君、戦いに赴き、死ぬことを、レイに代わってあなたが選んであげなさい。
 レイに戦い、そして死ねと命じる権限をあなたが持たなければならない。
 それが、あなたが総司令でなければならない理由」

「そんな……そんな! そんなことって!」

「なら、辞退して良いの?
 ミサトは今後もレイに出撃を命じる。
 そして言われるがままに、あなたはレイを初号機に乗せて出撃させなければならない。
 あなたはその決断を、他の人に委ねることが出来るというの?」

「そんな、でも……でも……」

「あなたが命じるの。使徒の襲来を受けて、あなたがレイに死ねと命じなさい。
 あなたがミサトにレイの出撃を許可するの。
 既にレイを愛しているであろう、あなたが」

「……」

「確かにあなたは14歳の子供にすぎないけど、形だけでも良いの。
 あなたが出撃を命じることで、あなたも、そしてレイの心も救われる。そして」

「レイの心も……」

「そして、あなたは拒否をすることも出来る。
 私がこっそり逃がしてあげる。
 その気のない者に総司令の任務も、そしてレイの保護者も勤まる筈がない」

「でも、レイが戦わなければ、世界は――」

「フフ、あなたの性格は何となく判るわ。
 それほど世界平和や人類の存亡なんかに興味は無いでしょ?
 あなたの孤独な心、しかしそれは誰かに愛し愛されることを切望する心の裏返し。
 父親の死に面したあなたの顔にはそう書かれてあった」

「……」

「さ、選びなさい。あなたが司令の座に就くつもりなら、司令としてマヤに命じなさい。
 新たなレイを起こすようにとね。
 でも、覚悟して。レイが起きた瞬間から、あなたに司令としての責任がのし掛かってくる」

「つまり、僕がレイ可愛さに司令の座に就くと思ってるんですね」

「なら、レイを連れて逃げなさい。
 私はあなたの意志を尊重する。
 その逃亡にも、ちゃんと手を貸してあげる。
 全ては碇司令、あなたの望むがままに」

「……」

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再び、レイの『製造工場』へ――。

つまり、僕はレイを起こすことを選んだ訳だ。
かといって、レイを連れて逃げるつもりもない。
しかし、僕は本当にレイを戦わせるつもりだろうか。
自分でも、判らない。

マヤさんは取り出したレイの薬品で塗れた肉体を丁寧に拭きながら――。
疲れているのだろうか、かすれ声で僕に話した。

「今度は、言うなれば完全体よ」
「完全体?」
「さっきのレイの体は完全ではなかったの。だからこそ、早く崩壊してしまった」
「それをリツコさんは見越して……」
「そうね。更にその前のレイも同じように、前司令が亡くなった後に肉体の崩壊が始まってしまった。
 普通の女の子のように一人で行動することも出来たんだけど、亡くなられたと理解したその後に」
「……」
「ウフフ、なんだか一人だと寂しくて死んじゃうウサギさんみたね。ほら、目も赤いし。アハハ……」
そんなふうにおどけて笑って見せようとするマヤさんの声は、もはや涙声だった。

「マヤさんは、その」
「シンジ君、私もこれを見た時はショックだった。でも」
「え?」
「ううん、やっぱり私の中では消化しきれてない。でも、今は戦うしかない。そうするしか無いから」
「……」
「シンジ君、私でよければ力になるから何でも言って。総司令として命じてくれても良いし、あるいは友人として」
「ありがとう、マヤさん」

そして僕は新しい『レイ』の手を取り、この前と同じようにシャワールームへ。

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互いに裸になり、僕は『レイ』にシャワーを浴びせた。
でも、この『レイ』にとっては初めてのことだ。
シャワーを浴びて、僕の愛撫を受けて、心地よさそうに目を細める『レイ』。
それは間違いなく、僕の心を捉えたあの時のままの姿に相違ない。
しかし、僕にはまるであの時の録画映像を見ているかのようだ。

だからこそ、あの時と同じだからこそ、とてつもない空しさを感じて仕方がない。
まるで、以前に見た映画を見直しているかのような。
映画やドラマなどを見て本当の感動を得られるのは初回だけ。
その感動は人生に一度きりしか味わえないものなのだ。

この『レイ』にとっては初めてのこと。
でも、僕にとっては――。

その空しさをかき消したい一心だったのだろう。
僕はこう囁いた。

「おかえり」、と。

『レイ』は少し目を見開いて驚いた様子だったけど、
やがて、こう囁き返した。

「ただいま」

それが、僕が聞いた初めての『レイ』の言葉だった。








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最終更新:2009年03月28日 22:21
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