総司令 第拾参話

僕はレイを連れて部屋に戻ってきた。
出撃は数時間後、さてどうしよう。
まあ、こういうときは眠らせておくに限るかな?

「レイ、シャワー浴びてきて」
僕はそう言いながら、ミルクをレンジで暖めようと準備をする。
何か食べれるなら食べさせた方が良いのだろうか。
そんなことを口の中で唱えながら、台所にあるものを探り始める。
自分は平常であることを、自分自身に言い聞かせるように、

正直いえば落ち着かない。それは何故だろう。
使徒殲滅の作戦を前に落ち着けるはずもない。でも、それは何故?
レイが作戦に失敗し、人類の未来が奪われること?
いや、僕の思いは違うと思う。
「この」レイが失われること。ただ、それだけ。

あの使徒の攻撃を受けた零号機の、あの有様。
どれほど距離を置いても確実に反撃するであろう新しい使徒。
レイの攻撃が一撃でも失敗すれば? それで、終わりだ。
使徒殲滅においては、それでも他に手はあるだろう。
なんといっても、レイは「使い捨て」なのだから。
このレイが死んでも、再び僕の目の前に新しいレイが現れる。

このレイですら最初に出会ったレイとは別人なのだ。
しかし、もうそのことを忘れてしまったかのように、僕はこのレイと接している。
このレイが死んで、新しいレイも失われ、そうして繰り返していく中で僕は変わっていくだろう。
そんな先々を考えてしまい、不安になる。
いずれは僕のレイに対する感情が失われていくのではないだろうか、と。

レイを失うことが怖い。なにより、レイに対する僕の感情が失われるのが怖い。
冷淡、酷薄なリツコさんのようになりかねない自分が、怖い。

……もう、いいだろう。
これ以上、考えても何かがどうにかなる訳じゃない。
僕はじゅうぶん考えた。これ以上どうしようもないじゃないか。さあ、手を動かそう。
えーと、パンに卵ぐらいしかないな。サンドイッチでも作ろうかな……ん?

「どうしたの、レイ」
「……」

僕の腕を取り、ただジッと僕の顔を見る。
物言わないレイが何かを要求する顔。ああ、一緒にシャワーを浴びて欲しいのかな。
普段は一人で何でもさせなきゃと思って、最近はそういうことをしてなかったんだけど。
こういう時だし、まあいいか。

風呂場に僕を連れてきたレイはしずしずと服を脱ぎ、続いて僕の服を脱がせようとして――。
「い、いや良いよ。自分で脱ぐから」
どうしたんだろう、レイ。
これほど自発的に行動して僕に働きかけるなんて、これまでになかった。
レイ、何を考えているの?

レイは僕の手を引いてシャワーの前に連れて行き、そしてシャワーのお湯を確認し始める。
僕が教えた通り、そしてゆっくりと慎重に。
その様を僕は呆然と眺めていた。

レイは決してバカじゃない。露骨な言い方をすれば。
むしろ優秀と言っても良い。
何かを間違えたり、もたついたりすることがあっても、それは僕の教え方が間違っていただけ。
教え直せば覚え直すし、一度覚えたことは決して忘れることがない。
これまでの生活の中でずいぶん人間らしくなったものだ。
もうほとんど普通の人のように服を着替えて食事をして寝起きするようになってきた。
その……女の子らしく、というのはちょっと無理だけど。
お手本が僕なんだし。

でも、こうまで自発的な行動は珍しい。まったくない訳じゃないけれど。
レイは何かを考えている。でも、何を?

「え、あのレイ?」
レイはスポンジにボディーシャンプーを付けて、僕の体をこすろうと手を伸ばした。
僕がそれを止めようとしたが、レイはさらに僕の手を押しとどめて、あくまでも僕の体を洗おうとする。
いつもの素直さとは違う、僕に逆らい、自分を押し出してきた新しいレイの行動。

やはり、そうか。
レイ、まさか戦いの前だから、死ぬかもしれないからと僕に何かをしてくれようと?

「レイ、あの……」
しかし、思わず何も言えなくなる。
性的な感情、それは無いわけでもないけど、レイの世話を受ける心地よさに僕は思わず目を閉じる。
この心地よさ、これはいったいなんだろう。

「必ず……」
「え?」

僕の体を洗い終えたレイは、僕にこう言った。
「必ず、帰ってくる」

僕は思わず、レイを抱きしめた。
「約束だよ。必ず帰ってきてね」
「……はい」

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「んん? シンちゃんずいぶん良い顔になってるじゃないの」
「へ? な、何いってんですかミサトさん」
「フフ、シンちゃんこそ何でうろたえてるの? アハハ」

司令塔に戻った僕をそんなふうにからかうミサトさん、余裕あるなぁ。
こんな時だからこそ、ということもあるけどね。
でも、僕はと言えばそんなからかいに気を止めてる暇もない。
初号機を操縦するのはレイだけど、ある意味で僕の仕事でもある。
僕自身が十分に作戦内容を把握しないと――。

「指示があれば撃つ、ただそれだけよ。それ以上の仕事は初号機には無い」
と、ミサトさん。いや、でもね。
「細かい段取りはこちらの仕事。レイとシンジ君は最小限のことを確実にこなしてくれればそれでいいの」
「そうですか。でも反撃が有ったときは」
「それは我慢するしかないわね」
と、今度は冗談っぽくリツコさんが言う。
「盾で防ぐ。特殊コーティングで14秒は耐えられるものよ。2科の保証付き。それに加えて零号機がある」
「零号機……」
「更に零号機と初号機のATフィールドで数秒プラス。でもね」
「でも?」
「使徒の放つエネルギーは無限。そう思った方が良いわ」
「む、無限って」
「無限のエネルギーを放つS2機関、それこそが使徒の力の根源」
「……」
つまり、こちらの攻撃が外れたら後は無いって訳か。
あるいは、こちらの防御が尽きるまでに仕留めなければ。

「さ、行くわよ。場所は双子山、そこから使徒をねらい打つ屋島作戦、是が非でも成功させてみせる」
と、意気込むミサトさん。言い換えれば、これに失敗すれば人類に後は無い、か。
そして僕達はヘリに乗って射撃台となる双子山へ。

作戦の詳細はこう。
日本中が生み出せる電力全てを陽電子砲という兵器に集めて使徒に放つ。
それも、使徒に気付かれないギリギリの、恐らくATフィールドを突破できるであろう距離からの射撃となる。
戦自のミサイル兵器による総攻撃で使徒を攪乱、こちらの本命の存在を掴ませない。
そして攻撃、万一の反撃からは零号機の盾で防ぐ。
理解するには難しくはない。レイに本当に撃てという指示しか出すことがない。
ああ、ATフィールドを貼らせなきゃいけないか。
「フィールドの操作も陽電子砲を放つ直前で。それだけでも確実にこちらが気付かれる」
だ、そうだ。

幾分、僕の気持ちも落ち着いている。
レイの世話を受けたからだろうか。あるいは、レイが意思表示を示したからだろう。
必ず帰ってくるとレイは言った。
与えられた仕事を確実にこなす、それが全てのレイがそう言ったのだ。
確実ではないけど、なんだか約束は守ってくれると信じてしまいそうになる。
うん、信じよう。というか、信じるしかないんだけど。

「配電作業完了しています。エネルギーシステム、正常可動」
「各地の発電システムより送電試動開始。エネルギー集約の確認を」
「期待値より12.3%オーバー。問題、ありません」

次々と報告が入る中、ヘリは仮設基地へと到着する。
仮設ゆえに、配置されて可動している機器は全て大型車両に積み込まれたままの状態。
見れば双子山山頂は、その送電システムと思われるトラクターの列がとぐろを巻いている。
そんな構成ではあるのだが、これが数時間の急ごしらえなのかと疑うほどに大規模な仮説基地が完成されていた。
まるで数年越しの一大プロジェクトが万を期して発動しているかのような有様だ。

「これが人類の力よ。イザとなれば何でも出来る」
と、ミサトさんは言う。
確かに凄い。これで人類が宇宙に進出していないのが信じられないほどだ。

しかし、こうも考える。
一人一人が望んでいることは、はたしてこんなことだろうか。
先程の、レイとのやり取りを思い出しながら、そう考えた。
誰かと共に居る喜び、それに勝ることなど他にあるというのだろうかと。

それについて、リツコさんはこう答えた。
「人々の今の生活、それは犠牲を積み上げながら築かれた文明の恩恵なの。
 文明が安全を保証しているからこそ、人々が危険を味わうことなく生活を楽しむことが出来る。
 人はそのことを忘れて、今の生活に甘んじている。まあ、仕方ないと言えば仕方ないのだけどね」
所詮、僕の考えは甘いということなのかな。

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いよいよである。
僕はレイを連れて初号機へと向かう。
既に腹這いでライフルを構えた状態で設置されている初号機。
その斜め前に巨大な盾を構えた零号機がひざまづいている。
それが初号機を守るというわけだ。

「レイ?」
「……」
その状態を呆然と眺めているレイの手を引いて背中の操縦席、エントリープラグへと連れて行く。
あとはいつもの通りにそこへレイを押し込んで、僕は急いで仮設の司令塔となるトラクターへと向かう。
そのトラクターの中は人と機械ですし詰め状態。
ミサトさんにリツコさん、マヤさんに日向さんが機械に挟まれるようにしてモニタを睨んでいる。
僕もまた指示されるままに皆の間へと潜り込んだ。

リツコさんにうながされて、モニタに映し出されるレイに向かって確認する。
「レイ、いいかな」
『……』
「レイ?」
『……はい』

少しボーッとしてる感じだ。まあ、普段と変わりないと言えばそうだけど。
2度目の声掛けでやっとこちらを向いた。
しかし、何を見ていたのだろう。
レイ、何を考えているの? いや――もう、そんなことを悩んでいる時間は無い。

作戦開始は午前0時。
いよいよ本格的な日本全土の電力集約が開始され、各都市の灯りが次々と消えていく。
この双子山山頂にいても判る。街の灯が消え、夜の闇が深くなる。
これまで目にすることがなかった、本物の夜の闇。
そこに雲があけて満月の明かりが辺りを照らし始めた。
月明かりに照らされて輝く初号機、そして零号機。
そんな様子を眺めていると、今度はレイが話しかけてきた。

『必ず……』
「え?」
『必ず、守る。必ず、守るから』
「……判った。頼むよ」
『はい』

何ともいえない気持ちで、レイに頷きかけた。
いや、レイを信じよう。信じるしかない。
いよいよ、作戦開始である。

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「充電、開始します」
「配電システム、全て正常可動。電圧すべて異常なし」
「使徒の状態は?」
「変わらず。エネルギー質量、変化無し」

各部署のアナウンスが駆けめぐり、徐々に作戦遂行の瞬間へと歩み寄る。
「使徒の状態から目を離さないで。こちらの充電率が70を超えた時点で戦自の一斉射撃を開始する」
目くらましというわけだ。射撃の瞬間、こちらに関心を持たれては困るからだ。

「使徒は所詮、生き物」
と、ミサトさん。
「如何に無機質な姿をしていようと、所詮はこの世に存在する物理事象よ。そこにつけいる隙は必ずある」
「でも……」
「何、シンジ君」
「使徒の持つ力は無限、そうリツコさんはいってました。しかも、使徒は」
「神様の使い、とでも言いたいの? でもね、彼らは我々と同じリングに上がることを選択した。ここは神の国じゃない」
「……はい」
「この世に絶対のものなど無い。そんなものがあるなら、サードインパクトなんて今すぐにでも起こせるはずよ。
 彼らは物理的に私達を突破するしかない。だからこそ、勝ち目がある」
「はい!」

ミサトさんの意気込みにつられて、思わず強く返答した。
いや、不安なんだミサトさん。だからこそ、勝ち目がある、と口にする。
理論値だけで計算して編み出したこの作戦、陽電子砲が通用しなければ全て終わりのこの作戦。
使徒に攻撃が通用しなければ何もかもおじゃんだ。

そんな考えに呼応するようにリツコさんから指示が下る。
「陽電子砲は地球の磁力を受けて直進しない。その誤差を補正する必要があるわ、シンジ君」
「え? それはレイにさせるってことですか?」
「いいえ、照準の補正はMAGIで行います。初号機の指先の微妙な加減で狙いを定める。
 ミリセンチ狂えば数百メートルの誤差になるから。
 レイにはインダクションモードで射撃を行って貰うわ。つまり引き金を引くだけ。出来るわね?」
「も、もちろんです。ですが……」
「ん?」
「あ、いえ……」

なんとなく、気になった。何と言えばいいんだろう、その……。
と、僕が口にする前に、リツコさんが代わりに答えた。
「シンジ君。レイ、成長し始めたのかもね」
「え?」
「心なしか、自我に目覚めたような、そんな感じがする」
「自我……」

リツコさん、レイの何を見てそう思ったのだろう。
ああ、さっきのレイの発言かな。
しかし、このリツコさんの鋭さに改めて驚かされる。
その通りだ。確かにレイには自我が生まれ始めているのだ。
僕の言いなりではない、自分で行動するレイへと変化し始めている。

リツコさんは改めて僕に言う。
「シンジ君、レイにこう言いなさい。必ず、使徒に勝て、と」
「え?」
「レイは信用できる。あなたが命令することなら必ず実現しようとする。だからこそ、そう命じなさい」
「……判りました」

僕は複雑な気持ちでマイクを握りしめる。
「レイ」
『はい』
「必ず、使徒に勝つんだ。必ず」
『はい』

本当はこう言いたい。必ず無事で帰ってこい、と。
いや、だからこそリツコさんは釘を刺したのだ。
僕にレイという犠牲を恐れさせないために。

「作戦開始、5分前!」

死なないで、レイ。









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最終更新:2009年02月02日 00:32
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