二人の 第八話

 しゅ~ん…………

「え?」
急に音が止み、どうしたのかとシンジは困惑する。
そしてオリジナルのレイは即座に立ち上がり、様子を見に駆け出した。
「あの……綾波、危ないから……」
そう言いながらシンジは身体を起こそうとするが、発熱のために身体が言うことをきかない。
両脇からコピー二人に支えられてようやく立ち上がった、その時である。

『やりました!使徒は完全に活動停止し、殲滅は完遂しました!
 成功です!我々の開発したポジトロンライフルが見事に使徒のATフィールドを打ち破ったのです!』

ラジオから聞こえてくる驚喜のアナウンサーの声。
もう間違いないだろう。ジェットアローンが使徒殲滅に成功したのだ。

だが、それはレイへの援助が打ち切られ、立ち退きを要求されることを意味していた。

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シンジはコピー二人の支えで、オリジナルが向かった方へゆっくりと歩いていく。
行き着いた先はシンジがさっきまで寝ていた六畳間。
シンジはその有様を見て驚愕した。

天井が丸ごと無くなっていたのだ。
どうやら、丁度そこが使徒の侵入ポイントだったらしい。
天井にぽっかりと丸い穴が開けられ、遙か彼方の夜空まで綺麗に見渡すことが出来る状態だ。
しかし、壊された時の破片が一欠片も残っていない。
使徒は吸い上げながら掘削したのか、それとも熱で焼却してしまったのか。

オリジナルのレイはそこにいた。天井から差し込む月明かりに照らされながら。
そして携帯電話を耳に当てて何やら話し込んでいる。
その相手はシンジには知るよしもないが、間違いなく話の内容は自分達の今後についてだろう。

とりあえずシンジは改めてそこの布団に寝かされたが、しかし部屋の明かりが失われている。
月明かりだけでは心許ないために、シンジは何か明かりを持ってくるように頼んでいた時、
ようやくレイは電話を切ってシンジに向き直った。

「私達が立ち退く必要は無くなった。ただし……」
レイは相変わらずの無表情ながら、憔悴しきった様子で説明する。
「ただし、日本政府は今後の援助は行わない。自分達で殲滅が可能となり、私達は必要なくなったから。
 立ち退くつもりがないなら、私達の安全は保証できない。戦闘に巻き込まれても関知しない、と。」
「綾波……それじゃ……」
「ここの電力の供給や作戦の協力と引き替えに援助を要求したけど、それも駄目だった。
 今後、エヴァのメンテナンスに必要な費用の援助や資材の搬入は無い。
 これでは、私達はいずれやってくる使徒と戦い続けることが出来なくなる。」

レイはシンジの寝ている隣りにペタリと座り込んで話を続ける。
「彼らが出来るという援助は只一つ。ここの立ち退きと、その後の生活保障の費用だけ。
 でも、それは出来ない。私達はここで戦い続けなければならないのに。」
「……どうして?彼らに任せてしまっては駄目なの?」

そう問いかけたシンジだが、しかしレイは何も答えない。
かたくなに自分が使徒に勝つことに執着しているのか、それとも何か事情があるのか。

しかし、レイはシンジの問いかけには答えず、上を見上げてつぶやいた。
「ここで寝るのは良くない。やはり別の部屋で寝て貰うわ。コピー達の大部屋が無事だから……」
「いや、今日はここが良いよ。こんな天井で寝るのは初めてだから。」
ポッカリと空いた天井の穴。そこに丁度さしかかっている月を眺めながら、シンジはそう答えた。

普通に考えれば、その天井の窓から新たな使徒が侵入を果たす危険を感じられる。
しかし、レイはそれを言わなかった。
そしていつも通りにコピーを一人おいて自分の寝床に去っていく。
今日の当番は5番だった。

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シンジはしばらく朦朧としながら寝付くことが出来ずにいた。
隣で横になっているコピーもまた入眠せずにいる。

そして時折、コピーが熱を測ったり氷嚢を取り替えたりするため起き上がる。
そんな看病を受けながら、シンジはしきりと考えていた。
綾波レイの失策について。

明らかに組織力不足である。
コピーをどれだけ引き連れていたとしても所詮は一人。
どれほどの資金力や技術力を保有していたとしても、所詮は一人である。
エヴァの製造とメンテナンスだけではなく、政治的な交渉まで一人で行っていては追いつくはずはない。
しかし、それだけでエヴァを作り上げて使徒と戦う力を得るに至ったのは実に驚異であるが、
しかしここまでだ。そう考えざるを得ない。

人手さえあれば金や力は幾らでも沸いてくる。
金や力があっても、それらを使う手が足りなければ意味がない。
そして巨大な組織の力で、その金と力をも奪われつつある。
まあ……実のところは、その金と力は巨大な組織を利用して得ていたのではあるのだが。

その巨大な組織、国連や日本政府を冷たい目で見つめていたレイ。
その組織の中に一人でも良い、レイにとって信頼できる者が居たら違ってきただろう。
そうした者が居なかったというよりも、あるいはレイが心を開かなかったためだろうか。
レイはその組織を、いうなれば人類を背に向けて戦っていたに等しい。
彼女が共に戦うことを選んだのはシンジ一人だけ。無力な14歳の少年ただ一人。
レイとシンジ。ただ二人だけで使徒と戦い続けるなど、初めから無理が有りすぎる。

レイはいったい何のために戦っているのだろう。
レイは何を相手に戦っているのだろう。
日本が、国連が戦いたいと言うなら、任せておけばいいのではないか。
何故、かたくなに自分の手で戦うことにこだわっているのだろう……

そこまで考えていたシンジは、思わず歌を口ずさみ始めた。
「♪貧しさに……負けた?……いえ……世間に……負けた……」

隣で寝ているコピーは、それを聞いて起き上がる。
しかし、何か命じられたわけではない、と判断したのだろう。
シンジの歌声を聞きながら、再び自分の布団に戻り天井の月を見上げた。

これから先、もはや資金の援助も断たれて資材や生活用品の発注も出来なくなるだろう。
世間に負われて只二人で貧しい生活を強いられる。
そんなところから、シンジはそんな歌を連想したのだろうか。
そして今度は一変して、陽気なメロディーで歌い始めたシンジ。

「♪ちゃららったったったったったー♪ちゃららったったったっらったー
 ♪ちゃららったったったっらららー♪ちゃららっちゃっちゃっちゃっちゃー」

シンジの突然のはっちゃけぶりに、今度は跳ね起きて驚くコピー。
もはやシンジは高熱で精神が侵され始めたのではないか、と。

そのメロディー、文字で書いただけでは判りにくいが実はチャップリンの映画の挿入歌だったのである。
それはモダンタイムズという映画で、貧しい男女が身を寄せ合って共に暮らし始めるという話。
しかし運良くレストランでの仕事にありつき、そこで主役のチャップリンが客に披露した歌がそれである。
そしてその映画の顛末というのは、結局その二人は人々から負われて逃げていくハメになるのだが、
しかし最後のシーンでチャップリンが何て言っていただろう。それが上手く思い出せない。
その台詞ひとつで、不幸な顛末をハッピーエンドに変えてしまったかのような……

コピーがシンジの脇の下に体温計を挟もうとした時、シンジはようやくそのラストを思い出した。
「そうだよ、綾波。こんなときは笑えばいいんだ。」

今日の当番、コピー5号はキョトンとした顔でシンジを覗き込む。
しかし、ようやく彼の命令を理解したらしい。
忠実なコピーは命令に従い、シンジに優しく微笑みかけたのだが……
既にシンジは目を閉じて眠ってしまい、その笑顔を見ることは出来なかった。

すーすーと寝息を立てるシンジをコピーはそのまま見守り続ける。
天井の崩れた和室六畳間に差し込む、蒼く美しい月明かりの下で。
最終更新:2007年12月01日 23:28
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