総司令 第拾四話

遂に、作戦決行の時が来る。

今や先程まで矢継ぎ早に流れていたアナウンスはピタリと静まりかえっていた。
それは全て準備完了、出来ることは全てやり遂げたことを示している。
もし何か声が上がれば、それは予想外のトラブル発生を示すだろう。
全スタッフはこの急ごしらえにして大規模なプロジェクトの、その全てをやり遂げたのだ。
それぞれの部門、各部署、そして戦自や関係団体、そして緊急避難する第三新東京市とその周辺市街の全住民、
あるいは停電の被害を受ける日本全土の公民全てに至るまで。

その準備が全て完了した。
そして作戦が開始されるのを息を飲んで待っている。
今や日本で動いているのは時計の秒針のみ。
日本の、世界の全人類の想いが、やがてレイの小さな指先へと集約する。

ただ、引き金を引くだけ。ただ、それだけ。
レイがその最後の責任を果たすがために、人類全ての力が……。

レイ!?

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「しょ、初号機、起動!」
「初号機パイロット、こちらの制御を切りました! 独自操作で起動しています!」

レイ、何をやってるんだ! 作戦決行の時はまだだというのに!

「シンジ君、レイを止めさせなさい! 早く!」
即座にミサトさんの怒号が飛ぶ。い、言われなくても!
「レイ、何をしてるの! 早く初号機を止めて!」

僕は必死でマイクを握り呼びかける。
しかし既に初号機は陽電子砲、ポジトロンライフルを手にして立ち上がり、零号機へと歩み寄った。
そして零号機が持つ盾を取り上げ、まるで中世の騎士のようなスタイルで左手に構える。
レイは僕の声に振り返ることなく、ただジッと正面を見据えている。
使徒の居る、第三新東京市の方角を。

「レイ! 聞こえてるの! いい加減に……」
と、尚も止めようとする僕をリツコさんが差し止めた。
「もういいわ。そのままやらせなさい」
「でも!」
「使徒のエネルギー質量が変動し始めている。もうすでにこちらの動きに気付いているわ。ミサト!」
「判ったわ!」

ミサトさんも打てば響くように反応する。
「戦自? 総攻撃開始!」
『なんだと!? 作戦開始時刻はまだ』
「ぼやぼやしてないでこちらが撃てと言ったら撃ちなさい! NERV総司令命令!」
『はッ!』

次の瞬間、第三新東京市は火の海と化した。
ミサイルの雨、砲弾の嵐が使徒に浴びせられ……いや、そんなものに気を取られている場合じゃない!
なんと初号機は銃座から飛び降り、真横へと走り出したではないか!
「レイ、どこにいくの! そこから動いちゃ作戦が滅茶苦茶に……」
その僕の呼びかけにやっとレイが応じた。

『もう、間に合わない』
「え!?」
『間に合わないから、動く』
「ちょ、ちょっと、レイ」

「シンジ君、もうレイを止めないで。マヤ、プログラム変更!」
再度、リツコさんは僕を差し止めつつ、今度はマヤさんに指示をする。
「順序を逆にするわ! レイが引き金を引いてから動的に照準計算、その後に発射、いける?」
「は、はい!」
と、大慌てでマヤさんはキーボードを連打する。
しかし、傍目から見ても判る、明らかにタイプミスとその修正でマヤさんは足踏み状態。
その有様を見てリツコさんの形相が鬼と化す。
「どきなさい!」
この狭い車両の中でリツコさんは力一杯にマヤさん押しのけ、思わず僕まで吹っ飛ばされそうになる。

走り続ける初号機――いや、停止した。
そして左手に盾、右手にライフルを構え直し、そのまま立位で使徒に狙いを付けようとする。
レイはそこで撃つつもりだ。

「充電は?」
「は、85%! 今、発射して使徒のフィールドを突破できるかどうか!」
「駄目だわ! 今すぐ初号機の神経接続を切って!」
「それも駄目だ! 制御が全て切られている!」
「シンジ君、レイにあと少し待てと」
「いえ、ギリギリ90%で理論値を超える! そのまま撃たせて! 早くしないと使徒の攻撃が来るわよ!」

もう誰が何を言っているのか訳も判らない。僕は金縛り状態で、どの声に対しても反応できなくなっている。
その慌ただしい中、リツコさんが倍速、いや4倍速でキーボードを連打する音が響く。それが尚更、僕の思考を狂わせる。
僕の頭はもう真っ白、何が何だか判らず、身動きできなくなってしまう。
まるで渦の外の傍観者のように、凍り付いてしまった僕の体。
そんな僕などスタッフ達は完全に放置し、急展開の事態を押さえようと血眼となって駆け回る。

「で、でも照準は!」
「間に合わせるわ! あと数秒で……あ」
「リツコ!?」
「……レイ、インダクションモードまで切っている」

レイ、自分の指先で使徒を狙い撃つつもりだ。
その最後のリツコさんの言葉に絶句するスタッフ達。
無論だ。こちらの照準システム抜きにして命中できる筈も無いではないか。
これまでの慌ただしさが嘘のように静まりかえる。

レイは何を思って行動したのか、それは判らない。
しかし、そのレイの思い、何かを考え始めたレイの思い込みが、この作戦すべてをふいにしてしまったのだ。
ここにいる全ての者がそう考えて、絶望する。
これで終わりだ。この作戦は失敗に終わるのだ、と。

そんな全てが闇に墜ちてしまったかのような、その刹那の中で。

出来ることは?
僕に出来ることは、何?

静まりかえるトラクターの中で、僕はマイクのスイッチをカチリと握りしめた。

「……レイ」
『はい』

そう、僕が為すべき事は、これだけだ。

「撃て」
『はい』

そして――。

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がっくりと椅子に腰を落とすミサトさん。
リツコさんはこの電子機器の狭間だというのに、その場でタバコの火を付ける。
どっという溜息が狭いトラクターの中に響き渡り、スタッフ総員は脱力する。
しかし、そんな状態に甘んじている場合ではない。

僕はスタッフの間をかき分けて、トラクターから出ようとする。
急がなければ。いや、急いでどうにかなるものでも無いだろう。
でも、急がなければ。

そんな僕を後ろから声をかけるのはリツコさん。
「シンジ君」
「え?」
「レイを叱っちゃ駄目よ」

僕はその言葉にあやふやな返事だけをして、急いで走り出した。
駄目よ、でっかいお灸を据えなきゃ、という怒鳴り声がうっすらと聞こえてくる。
ああ、あれはミサトさんか。いや、それどころではない。
僕はこの時ばかりは、と偉そうに「部下達」に命じた。
「そこのジープで初号機へ! 急いで!」

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やがて初号機の姿が見えてきた。
使徒の攻撃を受けて、横倒しに倒れているその姿を。

見れば、その装甲は溶解し始めている。
そんな有様であることも気にもとめず、僕は初号機に足をかけてよじ登ろうとして、スタッフから羽交い締めで止められる。
そんな焦る僕をなだめつつ、初号機回収の手筈を取り始めるスタッフ達。
無論、パイロット救出が最優先。僕を追いかけてきたヘリ数機から整備士達が次々と降り立っていく。

「あ、あの、総司令! まだ直接、手を触れては!」
「くっ……」

僕は抜き取られたエントリープラグ、レイの居る操縦席に飛びかかり手動レバーに手をかけた。
そのレバーはまだ高温、アイロンを握りしめているのも同然。
そんなことなど僕は気にも止めずに、スタッフの制止も振り切ってこじ開ける。
僕はもう待ってはいられなかったのだ。

レイ、死なないで。
そして、レイと再会を果たすのは僕でなければ。
そんな独りよがりな思いの中で、無我夢中でハッチを開けた。

「レイ!」

レイは、生きていた。
あの攻撃を受けて、レイは助からないのでは、そう思っていた。
プラグ内部でうなだれるように目を閉じていたレイ。
僕の呼びかけにゆっくりとその目が開かれ、そして僕の方を見る。
そして、その目からポタリと涙がこぼれた。

「……ごめんなさい」
それがレイの第一声だった。
恐らく初めてだろう、レイの謝罪の言葉。
なぜ謝るのだろう。なぜ泣いているのだろう。

レイの手が、レイの指先が僕の目元へと伸びる。
そして、僕の涙をぬぐってくれた。
ああ、そうか。僕が泣いているから、レイもまた泣いたのか。
レイはどこで覚えたのだろう。涙が失意を表していることを。

「いいんだ。さあ、帰ろう」
「はい」

僕はレイの肩を抱いて、慌ただしく初号機の回収作業に取りかかるスタッフ達の間を歩き始めた。
そうだな。とりあえず、いま到着した医務班のところに行かなくちゃ――。

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「お帰りなさい」
そう言って、マヤさんは「レイ」の肉体をそっと薬液の中へと浸す。
ここはNERV本部の地下深く、「レイ」の生産工場とも言うべき水槽のある実験室。
そこに戻される「レイ」の肉体。それはもちろん、普段から僕の側にいるレイではない。

そう、それこそが零号機のエントリープラグに詰められていた、臨時の「ダミープラグ」であったのだ。
ふと何気ない思いつきだった。
まったく記憶の埋め込みがされていない白紙の「レイ」でも、エヴァは稼働するのだろうか?

そんな思いつきを僕が口にすると、それを聞きつけたリツコさんはナイスアイデアとばかりに実験に乗り出した。
そして、実験は成功。今回の使徒殲滅における作戦に使用されることとなり――。

今回の使徒の前に出された零号機の「レイ」は、攻撃の衝撃に耐えられずに肉体の崩壊を遂げてしまった。
だからこそ、怖かった。初号機が使徒の攻撃に浴びせられた瞬間、もうレイは助からないと思ってた。
後からリツコさんは、あなたを知らない「レイ」なんて耐久性はゼロだからしょうがない、と笑ってたけど。

こうして、水槽の「レイ」達を見ていると、なんだか複雑な気分だ。
目の前に浮かぶ「レイ」、それは普段から気にかけて世話を焼いていたレイとはまったくの別人。
しかし、「これら」も間違いなく「レイ」であり、僕が最初に出会い心惹かれたレイともまた、全くの別人なのだ。

レイってなんだろう。
人とは、なんなのだろう。
僕は僕であり、もし僕と同じ肉体と僕と同じ記憶を持ちうる、もう一人の僕が居たとしても、それは「僕」とは別人なのだ。
もし、側にいるレイが死んだとして、新たな「レイ」が生み出されたその時、僕は受け入れることが出来るだろうか。
仮に受け入れることが出来たとしても、今のレイはそのことを悲しむだろうか。
いや既に、今のレイは最初のレイとは違うのだ。
最初のレイは今の有様を見て、何を思うのだろう。

「レイはただ、あなたのために行動しただけ。それだけだと思う」
と、マヤさんは言う。

「零号機が攻撃を受けて、この子達が失われることをシンジ君が悲しんでいた。そのことを知っていた。
 だから、そうならないように行動しなければならない。レイはあなたのためにしか行動しない、それだけの存在」
「……でも、なんで謝ったりしたのだろう。なんで、泣いてたのかな」
「泣いて謝ったの? レイが?」
「ごめんなさいって。僕がプラグをこじ開けて、レイを起こした、その時に」
「それは……そうね。なんだか迷子とか家出とかした子供が、親に再会した場面に似てるなあ」
「……」
「あなたを悲しませまいとして、レイは頑張った。けど、心配顔のあなたを見て、自分は失敗したのだ、と。
 悪いことをしたと、そう思ったのじゃないかしら」
「ああ……」

今回の作戦の顛末。
初号機の制御は万一を考え、こちらからロックされていた。そうと知ったレイは、その制御を全て切断。
レイは作戦指示を待たずに初号機を起動し、準備された銃座から移動する。
何故、そうしたのか。それは自分の目の前に零号機があったから。
自分がここに居ては零号機を使徒の反撃に巻き込んでしまう。
そのために移動してから使徒を狙撃する。
しかし、使徒もまた初号機に可粒子砲を放っていた。

だが、僅かの差でレイが早かった。
思わずゾッとする。僕が送った合図、あれが数ミリ秒ほども遅れたら、どうなっていただろう。
初号機と使徒の互いの攻撃がクロスカウンターとなり、レイの銃撃は見事に使徒のコアを的中。
しかし、初号機もまた可粒子砲の直撃を受ける。
零号機から取り上げた盾は溶け墜ち、初号機のATフィールドが辛うじてレイの命を繋いだ。

危ういところだった。
リツコさんは言う。もし、レイの狙い、数ミリも狂っていたら使徒のコアを突破できなかっただろう。
しかし、MAGIによる照準のサポートを受けていたら、使徒の反撃に間に合わなかっただろう、と。

レイは零号機を守り、自分自身もまた生還し、そして使徒に勝った。
レイは僕の全ての望みをかなえてくれたのだ。

「レイは作戦内容など知らなかったし、引き金を引けと言われれば引けばいい。あの子の仕事は、ただそれだけだった。
 だから、逸脱した行動に取ったとはまったく考えて居ないと思う。でも……」
「でも?」
「レイ、泣くことの意味を知っているのは驚いたわ。無感情とも見える、あのレイが」
「……」

いや、それは僕には判っている。
僕が泣いたから、レイも泣いたのだ。
ひいては、僕が以前にレイを部屋に放置していたとき、帰ってきてみれば血の涙を流していた。
レイは悲しいときに涙を流れることを、自ら理解していたのだ。
だから僕が泣くのを見て、ごめんなさい、とそう言ったのだ。

作業を終えたマヤさんは立ち上がり、僕をうながす。
「さあ、帰りましょうか。シンジ君、その両手は大丈夫?」
「あ、ああ、しばらく治療すれば元通りになるけど……怒られちゃいました。お医者さんに」
「フフ、似てるのね」
「へ?」
「いえ、なんでもないわ。ほら、早くレイのところに帰ってあげなきゃ」
「……そうですね」

そうだ、レイを連れて食堂に行かなきゃ。この手じゃ料理なんて出来ないし。
早くしないと店が閉まっちゃう。

「でも……」
「なんですか」

マヤさんは改めて僕を見つめて、こう言った。

「シンジ君って、あまり笑わないのね。心からの笑顔なんて見たことがないな」
「……」









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最終更新:2009年02月02日 00:34
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