虐待 第八話

「シンクロ率が稼働指数ギリギリ。パイロットの変換、考えた方が良さそうね。」
リツコさんにそんな評価を受けたアスカ。
不幸中の幸い、と言うべきか。
前回で彼女は大事に至らずに済んだのですが、精神まで無事で済むはずはありません。
終止、何かをブツブツ言い続けながら歩く姿は夢遊病者の様。
怖いです。もの凄く怖いです。
今や、僕がNERV内部で手を引いて歩かなければ、どこに行ってしまうか判らない状態。
既にケンタッキーパワーも燃料切れでしょうか。

無理矢理に食堂に連れて行き、彼女の前に食事を置くと、
「何よッ!あの時、飛び込んで助けてくれなかったくせに!」
そういって、バンッとトレーをひっくり返す始末。
もう性格も裏返っています。なんだか取り憑くスキもありません。

食事だけではありません。彼女、なんだか臭うのです。
そういえば、昨日と同じ服を着ています。もしかしたら、風呂にも入ってないかもしれないのです。
とりあえず彼女を部屋まで連れ帰ったのはいいけれど、僕がそれ以上の面倒を見てよいのでしょうか。
誓って言いますが、彼女が大変な状態である中、スケベ心なんてありません。ホントです。

あ、いや、母さん。ちょっとだけです。



その時、誰かが部屋をノックしました。
ミサトさんです。
「私が彼女の面倒を見るわ。男のあなたじゃいろいろ問題があるから。」
そういって、僕を部屋から追い出します。更に、
「だから彼女のことを気にして、訓練や稼働試験で手を抜いたら容赦しないわよ。」
そういって彼女は扉を閉めようとしたのですが、何故かその手をピタリと止めました。

どうしたのだろうと思っていたら、部屋の奥から微かなアスカの声が聞こえてくるのです。
「シンジ……ごめんね……シンジ……」
僕は再び部屋に入って彼女に何か言おうとしたのですが、
今度はミサトさんに押しとどめられて、しっかりと扉を閉められました。

流石にアスカはしばらく休養することになりました。
「あらそう、アスカの分も頑張るという訳ね。」
いや、リツコさん。そんなこと言ってませんので、僕の作業量を増やすの止めてください。
などと僕が言っても、仮にミサトさんがそう進言しても、リツコさんはきかないでしょう。
なぜだか、エヴァに関しては彼女の権限が絶対であり、彼女の自由自在です。
それにしても、あのミサトさんとの言い合いを聞いた限りでは、
こんなことになったのは全てリツコさんの筈。そう考えると腹が立ちます。
以前にLCLではなく水道水で初号機の操縦をさせられたのも、今から考えるとバカバカしい有様です。



いつか彼女に噛みついてやろう。何か言ってやろう。しっぺ返しをしてやろう。
そんなことを思いながらもエヴァの操縦席に着いてみれば、頭上から伸びてくる2本のゴムホース。
やれやれ、今日も水道水で頑張れと言うことらしいです。
間違えないように慎重に呼吸用のホースを選んで口にくわえる僕の姿は、まるで飼い慣らされた犬のよう。
母さん、僕が溺れてしまわないよう応援してくださいね。

どうにか過酷なスケジュールを終えてアスカの所に行ってみると、
洗濯物を抱えて部屋から出てくるところでした。
「洗濯……しよう?」
ボソリと僕に言う彼女。
少し回復しているようにも見えるのですが、以前の闘魂あふれる彼女の姿はありません。
思わず漏らしかけた溜息を噛み殺し、彼女と共に洗濯物を抱えてコインランドリーに向かいます。

ぐるぐる回る洗濯物をジッと眺めている彼女。
ほっておくと何時間でもそうしてるんじゃないか、と思ってしまう程に虚ろな表情。
僕は彼女の手を引いて近くのベンチに座らせました。
なけなしの小銭をはたいて、ジュースでも買ってあげようか。などと考えて自販機に向かった、その時です。
自販機のランプがフッと消えたのです。それだけではありません。
廊下を照らす電灯も、エレベーターも、何もかも消灯して機能を停止しました。
「……停電?」
僕に尋ねるアスカ。いや、聞かれても困るのですが。



「今だわ!」
そう言って彼女はガバッと立ち上がり、駆け出しました。
衰弱していたはずの彼女の信じられない急激な変化に、僕は仰天しながらも後を追いかけます。
どこに行くのかと尋ねると、
「チャンスよ。ここから逃げるの。停電の今なら、センサーも何も働いていないはず。」
そう言いながら非常口の扉を開けて、階段を駆け上がるアスカ。
僕は必死で彼女に追いすがりながら何とか引き留めようとします。
停電と見て逃げることを思いつく、その頭の回転の速さを保っていたことに驚いたのですが、
彼女の思いが歪んでしまったようにも見えて、なんだか猛烈に悲しくなってきました。

別に僕達は鉄格子で物理的に閉じこめられているわけでもないし、
かといって外に出ても諜報部などの人力で、決して自由に行動することなど出来ない。
そんなことは、アスカも判っていたはずなのに。
もはや、逃げることしか彼女の頭の中には無いのでしょうか。

ちなみにNERV本部は地下の巨大な空洞、ジオフロントの内部に設立されています。
だから、階段は降りるのではなく登るのです。
長い階段、長い通路を息絶え絶えに駆け通して、やっとアスカに追いついた時には、
もはや地上への出口へと到着していました。
でも、なぜ追いつけたかというと、彼女は扉を開いて出ようとしないままジッと外を見て立ちつくしていたからです。



そして彼女はつぶやきます。
「使徒……」
僕も外を覗いてみると、確かに使徒の姿がそこにありました。
巨大で、この世のものとは思えぬ毒々しいデザインが為された蜘蛛のような恐ろしい姿。
センサーなど使用しなくても、誰が見てもあれが使徒だと判るでしょう。

僕は彼女に告げました。戻って、エヴァに乗って戦わなければならないことを。
「い、嫌よ。もう、あんな連中にこき使われるのはゴメンだわ。」
しかし、逃げてもどうにもならないのです。僕達が勝たなくては人類に未来はないのです。
「嫌よ……なんでアタシ達が……あんたなんか飼い慣らされたバカ犬よ……」
そう言って泣きじゃくるアスカ。それでも選択の余地は無いのです。
彼女の手を引いて戻ろうとしましたが、その場にうずくまって動こうとしません。
もはや背に腹は代えられず、彼女を置き去りにして本部に向かって駆け出しました。

「遅いじゃないの!何をやっていたの!」
そう怒鳴り散らすリツコさんでしたが、ミサトさんがスッと間に割り込んで来ました。
「たった今、エレベーターに閉じこめられていたのを救出したところ。文句ある?」
え?と思ったのですが、彼女がかばってくれていることを察して何も言いませんでした。
「言い訳はいいわ。早く発進準備しなさい。エヴァの準備は出来ているから。」
流石のリツコさんも緊急事態のために嫌みを言う余裕は無さそうです。



そして、更にミサトさんは僕にささやきます。
(アスカなら私がなんとかする。心配しないで必ず勝ってきなさい。)
何だか、ミサトさんには全て見透かされているような気がしてなりません。

さて、発進です。今回は綾波と共に出撃することになりました。
それは良いのですが、停電のためにエヴァ射出用のエレベーターは動かず、
縦長の排出口からエヴァの自力でよじ登らなくてはなりません。
ここまでの発進準備も全て人力で済ませたと言うから驚きです。
しかし、今回はエヴァの内部バッテリーだけで戦わなくてはなりません。
地上に出るだけでも時間がかかるというのに、こんな状態で使徒に勝つことなど出来るのでしょうか。

「先に行って。」
そう綾波に促されて、僕は両手両足を壁につっぱらせてよじ登り始めました。
が、綾波の零号機は出てきません。
いや、出てきたのは出てきたのですが、上体だけ排出口に覗かせライフルを僕に向かって構えます。
「その辺で良いわ。あなたを狙って使徒がここに来るから。」
綾波、僕は囮の餌ですか?などと考えていると、猛烈な激痛が僕の背中を襲いました。
まさしく彼女の言葉通りに使徒が真上に来て、なんかやっているのです。
何を?そんなこと判るわけありません。とにかく、なんかやっているのです。
そんなことどうでもいいでしょう。熱いです。痛いです。痛いったら熱いったら痛いったら熱い。
その時、カチン、と何か聞こえました。あれ?今のは引き金を引く音じゃ?



ヒィッと思わず悲鳴をあげて、僅かに空いている零号機と排出口の隙間に飛び降りました。
まさに間一髪、避けきれずに初号機はかすり傷を受けましたが、どうにか零号機の照射を回避。
そして、綾波は見事に使徒を殲滅、おめでとう。

ことを終えてスッと頭を引っ込める零号機。あいかわらずクールだね綾波。
でも、撃つときには避けろとか言ってください。僕ごと撃ち抜く気だったんでしょうか。
僕はしばらく背中の苦痛が消えずにのたうちまわり、ようやく戻ろうとした時にはバッテリー切れ。
ああ、どうせかっこ悪いですよ僕は。

「あんなところに初号機を落とすなんて、あなた何を考えているの。どれほど引き上げるのに面倒だと」
はいはい、もう慣れましたよリツコさん。何とでも言ってください。
僕の心配事は別にあります。
このままでは、アスカが役立たずでお払い箱となってしまうのです。
そうなると、彼女はどうなるのか。ここから釈放?いや、それならそれで良いのですけど。
最終更新:2007年03月19日 07:55
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