総司令 最終話

第2使徒、リリス。

我が子らの未来のために。

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伊吹マヤと、彼女が率いるNERV諜報部の一派は高速ヘリに乗って移動中。
もはや戦いは収束したと、本部からの暗号電文は受けている。

さあ、ここからは自分の出番だ。
本部で籠城するミサト達と世界との橋渡しを勤めなければならない。

しかし、諜報部は言う。マヤはいわゆるまとめ役。
直接に交渉に赴き、活動するのは部下である自分達。マヤの居場所は決して知られてはならない、と。
本部と彼らとの橋渡し、世界情勢の把握、外敵の存在を確認、そしてそれらの情報のまとめ役。
そんな管理職的な立場を取って、諜報部の誰が倒れても良いように――そんなことは考えたくも無いが。

そのマヤの隠れ家となる場所を目指して、ヘリを飛ばすその最中。
周囲の雲が開けて、マヤはギョッとした。

自分達と平行に、エヴァンゲリオン初号機の巨体が併走しているではないか。

仰天する諜報部の面々、パイロットは操縦桿を操作し損ね、あやうくヘリのバランスを乱すところであった。
落ち着け。初号機は敵ではない。敵ではないのだ。

とりあえず、その初号機の動向を見るためヘリはホバリング。
すると、初号機もまた空中停止。
どうやら偶然に通りかかったのではなく、自分達を追ってきたのがそれで判った。

どうするつもりかと、見ていると。
ヘリが自分のことに気付いたことを知った初号機は、まっすぐ真下に降下する。そこは海。
どうやら初号機は自分の身を沈めて、人間の目の届かない深海で眠りにつこうとしているのだ。
初号機はそれでも良いのだろうが、レイまで道連れに沈めてしまっては――。

だが。
初号機は海に身を沈めつつ、右手を自分の後頭部に回す。
そしてイジェクトされるエントリープラグ。
それを自ら引き抜いて真上に掲げ、マヤの居るヘリに向かって指し示した。
後を託す、ということか。

それはもはや、レイの操縦では為し得ないこと。
初号機は、取り付けられた装置による制御から完全に離れていることを示していた。
そう、彼は既に操り人形では無くなったのだ。
そのまま海に身を沈め、後に残るのは海に浮かぶエントリープラグのみ。

マヤは同行する面々に振り返る。
男達は頷いた。

そしてヘリから縄ばしごが下ろされる。
それを降りてくる者。それは体重の軽いマヤが選ばれた。
命綱を結ばれ、慎重に彼女は降りていく。
はやる気持ちを抑えながら。

そうと見て、プラグのハッチが内側から開く。
そしてまっすぐに上げられた色白の腕。それをマヤはしっかりと掴む。

そのままヘリは上昇。
縄ばしごもまた、屈強な男達の手によって女性二人の体重をものともせずに引っ張り上げられる。
そして、初号機の姿は影も形も無くなっていた。

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それから、数ヶ月後。
ドイツにある、とある病院にて。

「洞木ヒカリさんは、こちらの方を」

洞木ヒカリ、14歳――いや、もう15になっただろうか。
第三新東京市付近に住んでいた市民に混じり、ドイツへと疎開してきた一人の少女。
実を言うと、彼女は鈴原トウジのクラスメイトである。
数人の女友達と一緒に、彼女はボランティア活動のために病院に訪れた。

トウジは友人のケンスケを交えて、授業もそっちのけで何やらネットの活動に忙しい。
あの第三新東京市で怪物らしきものと戦っていた秘密組織(?)は大変な危機に陥っている、とか。
そこに友人が居て、それを救出するために――しかし、彼女には何だかよく判らない。
最終的には国連にまで話を持って行くとかなんとか。
しかし、そういうことは授業に専念してからにしろと言いたいところ。

しかし、ヒカリはそんな連中に構ってる暇はない。自分は自分の活動がある。
何しろ疎開してきた人々は大変な状態なのだ。体も心も五体満足という訳にはいかない。
そこで友達と始めることにしたボランティア。病院に赴き、患者の手助けや話し相手をする役目。

ヒカリは看護師から名を聞かされて、少し戸惑う。
「あ、あの、外国の方ですか?」
「いいえ、ちゃんと日本語も話せる方です。健常であった頃のことですが」
「はあ……」
「クォーターの方なんです。名前にも日本名がありますよね」
「……はい、ではよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」

ヒカリは病室まで案内されて、その患者の名前を見た。

――惣流アスカ・ラングレー。

看護師は注意事項を述べる。
「精神的な病です。同い年の女の子なのですが――」
「ですが?」
「話しかけても何も反応が無いのです。同じ女の子同士なら、と考えましてね」
「では、お話ししたり、お世話をすればいいんですね」
「そうですね。もう暴れることはなくなったのですが、何かありましたらナースコールで呼んでください」
「あ、暴れるって……」

そして少し資料を見せて貰う。
詳しいことはさっぱり判らない。家族は無く、母親は既に他界。身よりの者は誰も居ない。
判ったことは、精神に異常を来したということだけ。原因すら資料には記載されていない。

そう、アスカとの出会いはヒカリにとって、これが初めてのことだった。
なにせアスカはいまさら中学校レベルの勉強など面倒と、一度もヒカリの中学に足を向けることが無かったのだ。
本来は行かなければならない筈のシンジやレイですら、NERVに引き籠もっていたのだから。

「失礼します……」
ノックしながらそう言いつつ、彼女は恐る恐る病室の扉を開けた。

まず、少し色あせたような赤毛が目に付いた。
そしてクォーターらしい独特の顔立ち、頬は痩けて瞳は生気を失っていた。
そしてヒカリはドキリとする。彼女の腕が拘束用の布で縛られていたのだから。
さらにその腕には点滴が施行されている。
もはや、食事を受け付けず彼女はそれのみで生きていたのだ。

その姿にヒカリは連想する。
天井から吊り下げられた、操り――。

「あ、あの、こんにちは……」
「……」

反応は、無い。
その精神は回復せず、点滴だけで生きている状態では体も衰弱していることだろう。

アスカの様子を眺めているヒカリの背後から、看護師が声を掛ける。
「反応はありませんが、いろいろ話しかけてみてください。意識もあり、耳が聞こえている可能性がありますから」
「は、はあ……」
「何をするにも、相手に断りを入れてから。それから、これ」
「手紙、ですか?」
「手紙が届くのはこれが初めてのことですが――彼女に断ってから読んであげてください」
「はい、判りました」

彼女は看護師からそれを受け取り、その差出人を見た。
エアメールだが、日本語の名前がある。「伊吹マヤ」、と――。

「では、後でマッサージの方法を教えますから。では」
と、看護師は去っていく。

ヒカリは見渡す。
おざなりの飾り付けをされた病室。
彼女の側にあるテレビはつけっぱなし。何かの刺激になれば、ということだろう。
それは当然ながらドイツ語の放送で、ヒカリにはさっぱり判らない。

「あの、座りますね」
「……」

ヒカリは丸椅子を引き寄せて座る。

「あの、寒くないですか」
「……」

「て、手紙が来てるんですよ。読みますね」
「……」

では、さっそく。
ヒカリは自分の定規を取り出して、丁寧に封を切る。
そして定規を傍らに置き――いや、慌てて使った定規を収納した。
相手にそれを奪われ、危険を及ぼすのを恐れたからだ。

そんな一騒動のために、封筒からハラリと何かが舞い落ちた。
それは一枚の写真。

「これは誰……ああ、綾波さん? ちょっと、判らなかった」
そう、ヒカリのクラスに彼女は在籍していたのだ。
独特の青い髪の持つ彼女のことを、一瞬でも見忘れるとはおかしな話だ。

ヒカリはその写真を見て、思わず笑顔となった。
「アスカさん? とっても素敵な写真ですよ? ほら、見てください」
と、その写真をアスカの目元に持って行く。

しばらくして、ピクリともしなかったアスカに初めての反応があった。

「……ファースト?」

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北欧だろうか、違うだろうか。
大自然の中の、とある所。

美しい森と、静かな草原。少し足を運べば海も近い。
そんな自然溢れる場所に立てられた、一軒の古びた丸太小屋。
小屋とはいっても数人が生活するには十分な広さがある。

そこに尋ねてきた者が一人の女性であった。
その彼女は扉の金具を使って、ゴン、ゴン、とノックする。
しばらく間をおいて、中から扉を開いて現れたのは伊吹マヤ。

「――葛城さん!」
「マヤ、しばらく」

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ミサトはマヤに招かれて、小屋の中へ。

「この辺りは冷えるでしょう?」
「そうね――ああ、ありがとう」
と、コーヒーカップを受け取るミサト。

「葛城さん、情勢は落ち着きましたか?」
「ええ、本部には何人かの待機要員を残して、あとは解散。政府も国連も柔軟で穏便な対応を取るって」
「本当に、これは鈴原君の一派のお陰ですね」
「そうね。彼が世間の目を作ってくれたお陰で、国連も私達を闇に葬ることが出来なくなった」

その今の会話は、それはマヤが役目を離れて久しいことを示していた。
そして部屋を見渡せば、そこは生活用品で溢れかえっている。
どうやらマヤがここに落ち着いて、すっかり長くなってしまったようだ。

マヤは微笑む。
「ウフフ、なんだか私一人がここでのんびり休養していたみたいで申し訳ないですね」
「いいのよ、マヤ。あなたにはそれが大事な仕事だったのだから」

しかし、大自然のこんな所にポツンと一人で居ては、かえって人目に付くというもの。
それは情勢が既に落ち着いているからこそ出来ることである。

ミサトは尋ねる。
「レイは、既に……?」
「ええ、息を引き取りました。今朝のことです」
「そうだったの」
「本当のことを言うと、あともうちょっとだけ早く来て欲しかった」

ふと壁際に並べられたものに気付く。
それはレイの注射のアンプル。ミサトは既にそれが何かを知っていた。
でも、ミサトはそれを言わなかった。見れば、最後の一つとおぼしきものに何かが書かれてある。
「冬月」と――それが最新のもので、それが最後に使われたのだろう。
ミサトはその意味を知りつつ、何も言わなかった。

――本当に、後から後から亡くなった人の事ばかりが。

ミサトはそんな気持ちは胸の奥に仕舞いながら、落ち着いてコーヒーをすする。
「そういえば、マヤ。リツコからメールが届いたわ」
「葛城さんもですか?」
「彼女、自分が死ぬ可能性を見越して、遅延メールをネットに仕掛けてたみたい。
 ゼーレのたくらみが書かれてあった。ほんっとに馬鹿馬鹿しい話よ」
「そうですね、私の方にも書かれていました」
「あんなオカルト話に付き合わされていたなんてね……」

会話もひとしきり終えて、マヤは本題を切り出した。
「レイのお見送りを一緒にお願いしてもいいです?」
「もちろん」

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そして、別室にある棺の元へ。

大きな棺だった。
そこに様々な花が鮮やかに敷き詰められ、その棺の左半分で静かに眠る一人の少女――レイであった。

そして、棺の右半分は何故か開いていた。
レイは右手をその右半分に伸ばされ、そして左手は胸に当てていた。
その意味は?

マヤはミサトが口を開く前にこう言った。
「そこはシンジ君の場所です」
「ああ、成る程……シンジ君の遺骨、持ってくるべきだったわね」

それを聞いたマヤはクスクス笑う。こんな神聖な場であるというのに。
「いいえ、それには意味はありません。当の本人がそこに居ますから」
「……マヤ?」

いぶかしげにミサトはマヤを見る。
シンジが向かえに来たという言い方をするのも、こういう場面ではありがちなこと。
しかし、マヤのその言い方――なんだか意味ありげだ。

そんなマヤは腰に手を当て、得意げにミサトに問いかける。
まるで子供に指導をするような口ぶりで。

「葛城さん。レイはどうやって私達を救ってくれたのか、まさか気付いてないんですか?」
「え、それは……」

ミサトは眉を少ししかめて、首をかしげる。
「マヤ、あなたは……」
「いえ、そうなんです。あの時、シンジ君が居たんです。レイはシンジ君の指示通りに行動しただけ」

ミサトは少し呆れたような顔をする。
「まさか、シンジ君の亡霊がレイを起こして、シンジ君が戦自の動向を見極め、
 そしてレイの耳元で囁いて、レイに私達への指示を代弁させた――あなたはそう言いたいの?」
「そうです、その通り。流石は葛城三佐」
「いや、あのねえ……」

ミサトは迷う。
マヤがそう考えることには害はない。それで得心がいくのなら。
しかし、現実主義の彼女にとって認めたくないところ。
過去の亡霊に捕らわれ現実の努力を怠り、神仏や祖先による助けを待っているのは問題が在りすぎる。
あの戦いは現実の自分達の努力で勝ち得たと、そう考えるべきだ。

しかし、マヤの考えは変わらない。
「なら、葛城さん。レイはどうやって起きたと思いますか?」
「え? それはあの――そう、あの時。青葉君の騒動で起こしかけたレイが居たじゃない」
「そのレイがどうやって戦自の動向を?」
「いや、それは……」
「そのレイが、NERVのみんなに指図ができますか?」
「……それは、レイだって成長してきたんだし」
「これまでシンジ君としか話が出来なかった、あのレイが突然に?」
「え、えーと……」

ミサトは最大限に頭をひねる。
マヤはそんな彼女を見て、なんだか楽しそう。

そして、ミサトが可能な最大の推理はこう。
「これはどう? 実はレイにインストールされたのはレイの物ではなく、シンジ君のものとか――。
 そうだ。リツコのものっていう可能性もある」
これにはマヤも爆笑。

「凄いこと考えますねぇ、葛城さん。それをレイにインストールして、レイが本当に動くと思います?
 他人の記憶をインストールするって、エヴァのシンクロ並みに無理があります。
 記憶って体と密接に関係していますから――では、それについての反論」
「何よ」
「葛城さんも聞いていたでしょ? 私達の協力者、鈴原トウジ君のこと。
 レイはシンジ君の携帯電話にそれが登録されているから、それを見ろと言ってました」
「メアドぐらいなら、リツコだって押さえていたかも」
「先輩ならアドレスぐらい暗記できます。本部のコンピューターではなく、シンジ君の携帯電話を見ろと言いました。
 あのレイに携帯電話のこととか、そのアドレスが携帯に入っているとか、そういうことを理解できますか?」
「う、う……」
「鈴原君を友人と呼び、その人格まで知っていました――どうですか? 葛城さん」

しかし、ミサトはなんだかスッキリしない顔をしている。
どうやらこの現実主義者は相当な頑固者のようだ。

マヤは、それならばと立ち上がる。
「では、葛城さん。これを見れば、あなただって納得するはずです。心の準備はいいですか?」
「な、何よ、マヤ。何を見せるつもり……?」

そして、マヤは隣の部屋の扉を開けた。

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「これは……!?」
ミサトは目を見張った。

その部屋中に散らかり放題の何か。
それは写真だった。全てレイ一人だけの写真だった。

ポスター並みの大きなものもあれば、小さな写真立てに納められたものまで、
様々な大きさのレイ一人だけの写真が、これでもかというほど部屋に敷き詰められていた。

そのいずれもが、はちきれんばかりの「笑顔」であった。

草原で風に吹かれるレイ、砂浜で波と戯れる裸足のレイ、
窓辺で夕日に眺めるレイ、暖炉で体を温めるレイ、コーヒーカップ片手のレイ……。
木陰でうたた寝をするレイの顔ですら、優しい微笑みを浮かべていた。
まさしく、満を持して可憐に咲き乱れた愛らしいレイの全てが、そこにあった。

「アハハ、もうハードディスクがパンパンになるまで、レイの写真とかムービー取りまくっちゃった」
そう言って笑うマヤの目からは、既に幾筋もの涙が流れていた。

マヤは問う。
「レイが一人で笑えると思いますか。最愛のシンジ君抜きで彼女が笑えると、葛城さんはそう仰るつもりですか?」

マヤはもっともお気に入りらしい、白いワンピース姿のレイの写真をミサトに示す。
「レイとはここに来てから、私と一言も口をきいてないんですよ? 私とは目も合わしていません」
「……」
「どうですか、葛城さん」
「……」

ミサトは慎重に、うなずいた。
「私の負け。あなたの言う通りだわ。不利になるから言わなかったけど――」
「なんですか」
「レイの体が崩れない。ならば、あのレイの隣でシンジ君が寝ている、なによりの証拠」
「あ、そうか。それは私も気が付かなかったな。アハハ……」
マヤは溢れる涙を拭おうともせずに、ミサトに笑いかけた。

ミサトはそれほど頑なではなかった。
彼女もまた、レイやシンジのことを親しんでいたのだから。

ふと、ミサトは一冊のノートがあることに気付く。
それを広げてみると、丁寧に丁寧に慎重に書かれた文字が並んでいた。
内容は他愛もないこと。ここに来てから何をして、何をどうしたかが書かれた記録だけ。
しかし、その最後にはこう書かれていた。

(私は、あなたの操り人形のままで良い)

ミサトは優しく微笑み、レイの日記に向かい頷いた。
それでいいの。そんな人生も悪くはない――ミサトはそう想い、目を閉じる。

「それじゃ、マヤ?」
「はい、棺は海に還しましょう」

そう、本当に体が崩れる、その前に。

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少し大きめの船が手配され、その水葬が行われた。
特に儀式めいたこともせず、黙祷を捧げただけでレイの棺を沈める。
しっかりと蓋をした挙げ句に、更に大きな鋼鉄のカプセルに収めて、深海の底へ。
それを人類が見つける日が、果たして来るのだろうか。

それを終えたミサトはホッと人心地付いて、ビールの蓋をカシュッと開けた。
しかし、何かを考えている。

「ねえ、マヤ」
「はい」
「さっきの写真と共に、皆に便りを送ってくれる?」
「皆って、その、NERVの皆ですか」
「ええ、レイとシンジ君のことを知っている全ての人。改めて、二人の葬儀をしたいの。
 リストアップ出来るかしら。私も手伝うから」
「……はい」

船の揺らぎに身を任せながら、ミサトは星空を仰いだ。
そして、思う。

(他にもいるのかな。マヤと同じ想いを抱いている人は)

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一ヶ月後。
やがて、その日がやってきた。

第三新東京市にある本部跡に残る者。
あるいはそこから離れ、各地に点在した全てのスタッフ。
その全ての者に手紙が届けられ、そして全ての者がここに集う。

レイが最後に過ごした場所。
マヤが住む小屋からほど近い、小高い丘が集合地点。
その丘の頂点にある巨大な樹の根本に、シンジとレイの墓が建てられた。

墓は、技術部や整備担当の手によって、何百年でも立っていられるようにと趣向が懲らされた。
地上に出ている部分は小さいが、とてつもない根の長さの墓がそこに埋め込まれる。
その根の中心にはシンジの遺骨とレイの髪の一房が納められた。

ミサトは集まった人々を見渡して考える。
(まさか、これほどとは……)

そこには本当に全員が集まったのだ。
情勢が落ち着いたとはいえ、止むを得ず欠席を余儀なくされた者すら居なかった。
正しく万障繰り合わせて、シンジとレイの葬儀に出席せねばと、無理をごり押してやってきたのだ。
日本から遠く離れた、地球の最果てのこの場所に。

葬儀の形式は無宗教。
一人一人、思い思いの花を手向けて冥福を祈る。
それが終われば皆で酒盛りをする予定。
せっかくNERVの生き残りである皆が、ここに集ったのだ。
何も無しでは面白くない。

やがて、その葬儀が始まる。
時間も段取りも決めていない。
ミサトの号令によって、全員が墓の前に列を作り始めた。

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順々に、墓に花が手向けられる。
本部の守衛、食堂の厨房の者、整備担当、技術部、医務、情報局、諜報部、作戦部――。
更には鈴原トウジが率いる、シンジにとって一日だけのクラスメイト達。
そして更には、トウジの妹までもが車椅子に乗せられてやってきた。

トウジは墓の前でむせび泣く。自分が助けを求められた時には既にシンジは他界していたと知ったから。
しかし、マヤから「その亡くなったシンジがレイを通して私達を助けた」と説明を受けると、
彼は更に感動して、気の毒なくらいにオイオイと泣き続けた。
細かい理屈抜きでトウジはマヤの話を信じたようだ。

そしてマヤも神妙に花を手向けて、列から離れたその時のこと。
トウジの妹とは別のもう一台の車椅子が現れた。
そして、すれ違い様にマヤに言う。
「伊吹さん。素敵な写真、ありがとう」

そして、その車椅子の主は洞木ヒカリの肩を借りながら、なんとか墓に花を添えた。
風になびく赤い髪――惣流アスカ・ラングレーはもうそこまで回復していたのだ。
そして、アスカは言葉を添える。
「シンジ、アンタは立派に勤めを果たしたわ……お疲れ様」
手にしたレイの写真を眺めながら。

最後に花を手向けたのは葛城ミサトであった。
それを終えたミサトは、墓の周囲に集まった全ての者に振り返る。
そして、思う。

(彼らの目は語る。あの時、最後の戦いで確かにシンジ君が居たのだと)

(誰の目もそれを信じて疑おうとはしない。ならば――)

(私は司令代行を預かる者として、彼らに対して最後の勤めを果たさなくてはならない)

ミサトは彼らに一礼し、そして再び墓に向き直った。


――実を言うと、ミサトは信じては居なかった。マヤの言う話を、まったく信じてはいなかったのだ。

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宝くじが当たる確率、あるいはサイコロを百個投げて、全ての目が揃う可能性でも良いだろう。
それと、目に見えない神や仏、霊魂の存在する可能性を比べたら?

当然ながら、あり得るのは前者。
後者の可能性はゼロではないが、見えないものが在るというより、サイコロ百個の方が現実的に十分あり得る。
ましてや、脳のメカニズムすら相当に解明され、レイの記憶の移し替えまで実現しているのだ。
その後に及んで、霊魂が存在すると考える方が理解しがたい話だ。

そして、実はミサトがマヤに言わなかった可能性がもう一つあった。
最後のレイがインストールされている記憶。
それは実は碇ゲンドウが育てたレイのものではなかったのだろうかと。
最後に初号機に乗ったレイこそが、ゲンドウのレイだったのだ、と――。

それならば、使徒が全て倒された後に軍の侵攻があることを予測出来たとしても、なんら不思議ではない。
ゲンドウと一緒だったのならば、そんなことを教えられていたことも十分に考えられる。
NERV本部の面々に叱咤号令したのも、ゲンドウの見まね。

相手の顔を見ないレイの仕草についても、マヤ自身がこう表現していたではないか。
「ゲンドウのレイ」は、なんだか冷たい感じがした、と。

ならば、トウジのメールアドレスについてはどうだろう。
しかし、「ゲンドウのレイ」と「シンジのレイ」、その二つの記憶を詰め込んでしまったのだとしたら?
「ゲンドウのレイ」なら携帯電話の知識もあるだろう。
成長を果たした「シンジのレイ」だって、トウジとシンジのやり取りを理解できるかもしれない。

レイは水槽に居た頃の記憶を持っている。
さらにその後、記憶をインストールされた後でも、彼女はそれを忘れていなかった。
あの青葉シゲル率いる連中がどんなインストールをしたかは、もはや不明。
慣れない彼らがそんな無茶をした可能性は十分に高い。

もしその通りだとしたら、NERVを勝利に導いた功労者の中に青葉の一派を加えなければならない。
やはり、後から後から亡くなった者の名前が出てくるが――まあ、それはさておくとして。

なら、マヤの最後の切り札。レイの笑顔については?
それについても、ミサトはこう考えた。

(レイが私に反応したことをしっかりと覚えている。レイは成長し、シンジ君以外の人と接することが出来るはず)

(マヤ、レイはね。あなたを見て笑顔になれたのよ。
 あまり笑わないシンジ君相手では、レイは笑うことなど出来る筈がない)

(あなたのことを見ていない? それは思い込み。きっとあなたのことを見ていたはず)

(いつもニコニコしているマヤだから。シンジ君ではなく、あなたと一緒だからレイは笑顔になれた)

付け加えで、レイがキーともいえるゲンドウ、そしてシンジを抜きにして生きながらえた理由。
それは新たに、マヤがそのキーとして選ばれたからではないだろうか。
あるいは、成長したレイならば可能性は未知数。

しかし、言えない。
そんな推理は、口が裂けてもマヤには言えない。

例え、それが真実であっても、マヤを含めてNERVの皆には言いたくない。
あくまで、この推理も可能性でしかない。
シンジの霊が無くとも、十分に有り得たことだったという証明の一つ。

本当は、自分自身も考えたくないのだ。
ミサト自身もまた、シンジとレイのことが好きだったのだから。
レイと共にこの地まで逃げ延びて、ようやくシンジは笑うことが出来たのだと、そう信じたい。

ふとミサトは自分の携帯電話を開いた。
そこに表示される待ち受け画面は、もちろんシンジとレイの記念写真。
それこそ、二人が並ぶ真実の姿。
笑顔ではないけど、恥ずかしそうに寄り添う二人の、その姿。

そして、彼らに何を語るべきか、ミサトは心を決めた。

そして、ミサトは二人の墓に語り始める。
その場に集まった全ての者に聞こえるように。
丘から広がる草原に、ミサトの声が静かに響き渡る。

(全ては我が子らの、未来のために)

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「シンジ君、私はあなたに伝えたい。
 あなたこそが私にとって、もっとも優れた素晴らしい指揮官であったことを。

 シンジ君、あなたは重大な過ちを犯しました。
 それは、自らの命を投げ捨てることを選択してしまったこと。
 結果として、それは使徒を殲滅し、私達を救う結果に至りました。
 しかし、もしかしたら、それはあなたの意図では無かったのかも知れませんね。
 更にその後、パイロット不在の危機に陥るところでしたから。

 でも、そのことを私は責めません。
 あなたがNERV本部に来てから、どれほど恐ろしい、おぞましい、そして悲しい思いをしたことか。
 私は全てではないけれど、その多くを知っています。
 愛しい人に娶され、それがいずれ失われることを知りながら、その人とともに過ごす日々。
 そんな辛い日々のことを考えれば、あなたの過ちについて、誰が責められるというのでしょう。

 あなたには本当に辛い思いをさせました。
 あなたを救えなかったことが悔やまれてなりません。
 あと少しだけ、私の手が長ければ、あなたの心に届いたのに。
 あと少しだけ、私が何かをしてあげれたら、私達はこんな悲しい想いをせずに済んだのに。
 でも全ては終わったこと――仕方がありません。

 私が、あなたを優れた指揮官だと言う、その訳ですが――。
 それはあなたが突如に見せる目端の利いたところとか、そんなことではありません。
 あなたは苦しみ、そして死を選んだ。
 そのあなたが再び現れ、私達に危機が迫っていることを告げた。
 そして失意に落ちていた私達に生きろと、戦って生き延びよと、そう命じたのです。
 過去の過ちをも糧として、戦い、そして生きろと、あなたは私に教えてくれました。
 それ故に、私はあなたが誰よりも優れた指揮官であったと、考える次第です。

 私の背後にいる全ての者が、あなたに救われました。
 あなたはこれだけの命を救ったのです。
 ここに、あなたの生きた意味がある。
 誰かに必要とされ、それに応じられること。
 それが自らの存在証明。

 あの時、あなたは確かに居ました。
 あの時、あなたは確かに私達と共に居たのです。
 こうして尚もあなたの存在を必要とする者達が、ここに集いました。
 故に、あなたはここにいます。

 レイの手を取り、あなたは尚もここに居ます――」

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やはり、人は一人では生きられない。
そのために、神の存在は欠かせない。
今ここに、新たな神話が創造された。

自らが生きていくために。
そのために真実が隠蔽されて、夢だけが語りつがれていく。

そして、少年は神話となる。

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ミサトは号令を発する。
「――では、一同起立!」

ミサトの口上を聞き終えたアスカは考える。

(シンジ、レイはこれで良かったのだと、アタシは思う。
 アンタにこう言ったわね。ファーストをないがしろにしたら、タダじゃ置かないと。
 アンタはそのアタシの言うことにちゃんと従ってくれた。
 人形のようなあの子が、こんなに幸せそうに笑ってる。
 この写真を見ていると、別に作られたお人形でも悪くない、とそう思えてくる)

(アタシは作られた存在。NERVのお人形として育てられ、そして生きてきた。
 ファースト、アンタもそうだった。でも、そのアンタがこうして笑顔で浮かべてる)

(負けるもんか。やっぱりアタシはアンタに負けない。アタシもアンタみたいに――)

ミサトの背後に居る者達全て、彼女に習って姿勢を正す。
アスカも周囲の者に手を借りながら、自分の足で立ち上がった。

(絶対、幸せになってやる!)

そして、ミサトは彼らに告げた。

「では司令の命により、私が成り代わり宣言します。

 NERV、解散――総員、NERV総司令・碇シンジに、敬礼」


(完)


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あとがき。

と言っても、大して書くことはありません。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
これを書き始めて途中で中断してしまい、申し訳ありませんでした。
初めから書き直してしまったのに、それでも最初から最後まで読み直して頂いた方、本当にすみませんでした。
更に何度も書き直しがあり、今後も修正を加えてしまうけど、ご了承頂きたい次第です。

この内容に関して、私は何も申し上げることは出来ないかも知れません。
その多くが他の作品の借り物であり、宗教観とかクローンとか、私自身がよく判っているわけではないのです。
私は誰かから聞いたような借り物の知識を組み合わせることで、お話を作っただけなんです。
私の持論はありません。

では、最後にエピローグを添えて、終わることにします。









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最終更新:2009年03月21日 13:51
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