「う、うう……」
呻き声を上げながらようやく気が付いたシンジ。使徒自爆の衝撃で気を失っていたらしい。
如何に頑丈な初号機のお陰とはいえ、まったく影響がない筈はない。
イジェクトされたエントリープラグのハッチが開いて、そこに作戦部長の葛城ミサトが覗き込む。
「無事みたいね。私が判る?私の声、聞こえる?」
「あ、はい……ミサトさん。あの、」
「ああ、そこから出ないで。もしかしたら、すぐにでもアスカの支援に向かって貰うかもしれないし」
「……はい」
「悪いけど休息はこのままで。食べる?」
差し出されたのは小さなサンドイッチ。
それをシンジは口にする。しかしウェッとえづいてしまい、とても食べられる状態では無いようだ。
ミサトは、そんなシンジを見て溜息をつく。
「無理もないわね。それじゃ、お願い」
「はい」
ミサトに代わって覗き込んだのは一人の看護師。彼女が手にしているのは点滴の針だった。
「え、あの、痛ててッ!」
「注射ぐらいで声を出さないでよ。食べるのが無理なら血管から入れるから。それから、これ飲んで」
「へ?あ、あのミサトさ……モガモガ……」
再びミサトが何かを咥えて水を含みつつ覗き込み、舌を使って無理矢理にシンジの口に何かを押し込んだ。
「安定剤。少しで良いからそれ飲んで眠りなさい。それじゃ」
今度は優しく軽く唇にキスをしてから、彼女は去っていった。
こうして束の間の休息をとるシンジであったが、NERV本部のスタッフ達はそんな暇など無い。
「初号機の再装備はあとどれぐらいだ」
「あと15分はかかり……」
「人力を全て集中させて10分で終わらせろ。初号機が戦えなければ何にもならんぞ」
「ハッ!!」
そんな具合に指揮を執るゲンドウの傍らで、ピシリという音が聞こえてくる。
それは将棋の駒を打つ音。冬月副司令がこの修羅場の中で将棋盤に向かっているのだ。
そんな場違いなほどに落ち着き払った彼の態度が気にくわないのか、ゲンドウは横目で睨み付ける。
「冬月、遊んでいる場合か」
「ふむ……」
碇総司令の声が聞こえているのか、いないのか。冬月はジッと将棋盤から目を離そうとせずに動かない。
「……フン」
そう吐き捨てるゲンドウ。諦めたのか部下達の方に向き直る。
しかし冬月の脳裏は裏腹に全て今後の展開に集中されていた。
(これはまだ前哨戦だ。最終的な狙いは「ここ」だ。地上で暴れたところでどうにもならぬ)
(我らを試しているか?しかし油断がならない。使徒が現れれば我々は手駒を走らせなければならない)
(弐号機が出向いた。しかし、初号機と零号機が修理を終えれば。そして参号機が到着すれば……)
(これだけ在れば使徒は容易には勝てない。ならば?弐号機の様に「ここ」から引き剥がせばいい)
(さて、次はどこからだ?北か?東か?いずれにしても、我々はここで待てばいい)
(ならば……)
そして突然に冬月は立ち上がり、呼びかける。
「碇」
それに対して返事もせずにジロリとにらみ返すゲンドウ。冬月はその彼の名をもう一度よびかける。
「碇、上だ。上から来るぞ」
「何だと?……おい」
「ハッ!」
ゲンドウに顎で命ぜられ、レーダーを操作するオペレーター。
「上空の全ての高度において、我々の航空機以外に反応は……ん?なんだ、これ?」
「どうした!明瞭に返答しろ!」
「は、はい!大気圏外に巨大物体が出現、パターンは……」
その時、背後からゆっくりと近づいてきた冬月が後を引き継ぐ。
「青だろう?碇、これは面倒だぞ。どこに落ちるか知れたものではない」
「……ッ!初号機はまだか!」
舌打ちしつつ、ゲンドウは部下を走らせる。
そんな彼を見送りながら、別の者に命ずる冬月。
「戦自研に問い合わせよ。陽電子砲の準備はまだか、と。エヴァだけでは使徒には勝てん」
「新たな使徒!?大気圏外から?」
そう驚いているのは、たくましくカツサンドを頬張りながら浅間山に向かうアスカであった。
その彼女に説明するミサト。
『そうなの。出来れば初号機をそちらの支援に向かわせようと思ってたけど、難しくなりそうね』
「いらないわよ、あんなヘナチョコ。でも、あいつに勝てるの?」
新参の後輩とはいえ非道い言い回しだ。ミサトは苦笑いで答える。
『初号機を目覚めさせただけでも立派よ。禄に訓練も受けていないのに』
「ハッ!実力の99%は本人の努力よ。生まれ持った素質なんて私は認めないわ」
『彼に辛くあたらないで、アスカ。貴重な戦力よ?彼もあなたも。無茶をしないで』
「だァいじょうぶよ私なら。それにしても何これ、耐熱スーツ?弐号機も私もダンゴ虫みたい」
彼女のいう耐熱スーツ、それは弐号機に急遽ほどこされた局地戦用のD型装備であった。
そして到着した浅間山は地獄のような有様であった。
噴火した火山から溶岩から流れ出し、周囲の野山は既に火の海。
そして火口から恐るべき使徒サンダルフォンが奇声をあげつつ姿を表す。
「また魚ァ?あ、足が生えてきた」
まさしく生物の進化のなぞりだ。
サンダルフォン、それは胎児の象徴。そう、魚の姿に似てエラまで備えているという人間の胎児だ。
それから手足が伸びて人の姿となると言う。まさに太古の生物の歴史をなぞりながら人は生まれ出でるのだ。
そこまで考えたアスカは初めて恐怖のようなものを胸中に抱く。本人は認めたがらないであろうとも。
(私は、私達は大自然の全てと戦おうとしているの?大いなる大地と緑なす自然、その父母を相手に……)
が、勇者アスカはひるまない。
「ええィッ!いくわよアスカ!とぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
冷却用のケーブルと、そして命綱を接続された弐号機は輸送ヘリから急降下し、そして、
ズドドドォォォォンッ!!
弐号機は真上から戦斧片手で使徒に直撃し、火口の中へと沈められる使徒サンダルフォン。
そして弐号機共々マグマの中へ。
「そっから二度と外に出さないわよ!覚悟しなさい!」
そしてNERV本部。
「落下推定位置は、この本部から約30キロ離れた……ここです。それでも10キロ四方の誤差があります」
オペレーターからその報告を受けて、冬月はため息をつく。
「それでも落下の衝撃は100キロ四方に及び、本部を巻き込むのか。いや、それ以上……」
「勝つ方法はあるのか?」
そうスタッフ達に尋ねるゲンドウ。
それに対してミサトが進み出る。
「この上は、エヴァのATフィールドをもって受け止め、殲滅する以外にありません。が……」
更に、それを赤木リツコ博士が引き告ぐ。
「エヴァ3機。最低でも2機が必要です。使徒を封じながら攻撃するのは不可能」
「零号機の出動は無理だ。弐号機の情況は?」
「それが、苦戦しているようです。このままでは……」
「う、ううん……」
『目が覚めた?出撃よ。すでに初号機はシンジ君ごと輸送中』
「ええ!?次の使徒がもう来たんですか!」
『今度は空から。作戦はただ一つ、上空から落下する使徒をエヴァで受け止める。それしかないわ』
まだシンジは訳の判らない状況だ。やがて、初号機は地上に降ろされる。
『しゃんとして。現在、上空2万5000。じきに肉眼でも確認できるわ』
「受け止めて、そしてどうすればいいんですか?」
『あなたは受け止めることだけを考えて。それ以上のことをシンジ君に要求しない』
「い、いったいどこで待ち受ければいいんですか?ここなんですか?」
『途中まではスーパーコンピュータMAGIが誘導する。後は……あなたに任せるわ』
「任せるって……そんな……」
『距離2万を切ったら始めるわよ。現在2万3000!』
「え……は、はい!」
愚痴ってもしょうがない。逃げ道など何処にもない。降りることなど出来ない戦い。
(こうまでして……なんで、こうまでして戦わなくちゃいけないんだ……どうして……)
何故、何故、という言葉がシンジの脳裏にあふれかえっていく。
そして次第に見えてくる、使徒の姿。
(あれは……空。そうだ、空だ。空が落ちてくる)
今まで迷う暇もなかったシンジが、ここまできて初めてこの戦いに疑問を、そして恐怖を抱き始める。
(そうだ。使徒、つまり天使。天使の名を冠せられた使徒。僕達の相手はつまり、神……)
『スタートッ!!』
ミサトの掛け声と共に、打たれたように走り出すシンジ。
行き先をMAGIが補正し、まっしぐらに落下する使徒に向かう初号機。
が、そんな激動の最中で尚もシンジの苦悩はつのり、そして声となる。
「ミ、ミサトさん……いったい僕達は……」
全力疾走する初号機の激しい振動の中で、何かを言おうとするシンジ。
『シンジ君!速度が落ちるわ!集中して!』
「僕達は……僕達はいったい何と戦ってるんですか、あれは、あれは……」
『考えないで!集中してって言ってるでしょうッ!!』
そのミサトの一喝でもシンジの苦悩は押さえられない。
「あれは神の姿……僕は神と戦い、神を殺せというんですか!ミサトさん!」
『シンジ君……』
シンジがそう言うのも無理はない。
やがて見え始めた毒々しい使徒の姿。それが微妙に変化し始める。
その背後に光り輝く翼のようなものが浮かび出されているではないか。
まさに天使のそれ。翼を広げた使徒の姿。
ミサトは振り返り、オペレーターに尋ねる。
「あれは何?もしや、使徒サハクィエルの背後には……」
「間違い在りません。このパターン、背後にいるのは正しく使徒アラエルです」
それを聞いて、これ以上無いほど顔をしかめるミサト。
しかし彼女もまた悩んだり迷ったりしている場合ではないのだ。
今にも地上へと到達しようとする使徒サハクィエル。
それを初号機が、シンジが受けきらなければ我々は敗北する。
そうすれば全てが終わる。全て無に帰してしまうのだ。そして、既に次の使徒が来ているのだ。
徐々に減速し、ついに走るのを止めて立ちつくす初号機の姿。
「シンジ君……」
ギュッとマイクを握りしめるミサト。このままではダメだ。
何か言え。何か言うんだ。シンジが立たなければ、我々は……
その時、シンジ目掛けて通信が入る。
『シンジ……』
「……アスカ?」
『走りなさい、シンジ。私達は戦わなければ、絶対に勝たなきゃいけないの』
「……何故?僕達が、僕達が倒そうとしているのは……」
『だからどうなのよ。全ては誰かのため、愛する誰かのために。天と地、その全てを滅ぼそうとも』
「判らないよ!そうまでして生きて行かなきゃいけないなんて、僕は……」
『あんた、人を好きになったことがないのね。誰かの為に戦うということを知らないのね……』
「え?」
『……まあ、いいわ。この命、あんたにあげる』
「な、なにを言ってるの?アスカ」
『この勝利はあんたに捧げる。あんたのところにコイツは行かせない。何があろうとも』
そこにミサトの通信が割り込む。
『どうしたというのアスカ!ダメなら退きなさい!』
『そのバカに教えるためよ。そのヘナチョコが戦えるようにね。そうしなければ、あんたたちは滅ぶのよ!』
『アスカッ!!』
絶叫するミサト。が、アスカはもはやためらわない。
『人間は負けない!天と地、全てが襲いかかろうと私の全てを賭けて!うぉぉぉぉぉおおおおああああッ!!』
(ブチッ……)
途絶えるアスカの通信。
『どうしたの!日向君、報告して!』
『……使徒サンダルフォン殲滅。しかし』
『に、弐号機は!?』
『接続されていた冷却用のケーブル切断し、使徒に飲み込ませた模様……急激な温度変化に耐えられず使徒は……』
『……』
『そして、弐号機も共に……』
静まりかえるNERV本部。その沈黙をワナワナと震えるシンジが破る。
「まさか、死んだの?アスカが、そんな……」
それにミサトもまた、震えながら答える。
『……走りなさい、シンジ君。走るのよ』
「そんな、嫌だ……僕は……僕は……」
『まだ判らないのッ!!あんたがそうだから、アスカが身を投げ打ったのよ!走りなさいッ!!』
「……ッ!」
シンジはまだ理解できていないのだ。アスカの死が。これが生死を賭けた戦いであることが。
そして人類の存亡がかかっていることが。
もう、幾らと経たずに使徒が地上に到達する。
そんな最中であるにもかかわらず、シンジはまだ動けない。動かない。
が、そんな有様の中を一つのアナウンスが響き渡った。
『シンクロ率52.23パーセント!参号機、起動しますッ!』
ズズゥゥゥゥン……
ドス……ドス……ドス、ドス、ドス、ドスッ!ドスッ!ドスッ!ドスッ!ドスッ!ドスッ!
シンジの、初号機の背後に着地し、そして猛烈な勢いで走り始めた一体のエヴァ。
それは輸送機に搭乗したまま起動され、戦場へと投下された参号機であった。
シンジを超える初回シンクロ率を叩き出し、早くも猛烈な勢いで走り出し、初号機の脇を駆け抜ける。
その参号機から聞こえてくるパイロットの怒号。
『走れやッ!!ワシがあいつを受けたるッ!お前もさっさと走らんかいッ!』
最終更新:2007年06月25日 21:04